不捨室雑録

僧侶志望の大学生が綴る日々の記録。 趣味の陶芸や大好きな仏教について、 まあるい頭で考えたことを書きとめていきます。 古い記事はこちらhttp://blogs.yahoo.co.jp/haganbisyou

2008.08.29 00:31 | | トラックバック(-) | コメント(-) |
ミャンマー、本当に憂慮すべき事態になっています。
僧侶も加わったデモということで注目していました。
まさか武力制圧は、ないだろうな、
それやったら取り返しつかないもんな。
と楽観していたら僧侶にも発砲、拘束が及んだとのこと。
多くの人がいうように、こういうことをしてしまう政府というのは
本当に末期症状なのでしょう。

私に直接できることはすくないのですが、
それでも注目しつづけることは大切だと感じたので遅ればせながら
以下に全ビルマ青年僧侶連盟からのメッセージを転載しておきます。

以下転載


日本国内のすべての僧侶と皆さんへのお願い
アシン・ケマサラ
全ビルマ青年僧侶連盟(ABYMU)議長
2007年9月18日

 日本に住むすべての僧侶と、信仰心の厚い在家信者の皆さんに対し、以下の通り緊急のお願いを申し上げたい。

 ビルマ国内情勢についてはインターネットやマスコミなどを通じて多くの情報が流れているところですが、よりよく理解していただくためにいくつか補足をさせていただきます。

 ビルマ軍事政権は、1988年の民主化運動の後、国内に民主主義を実現するという約束を反故にし、軍事独裁政治を続けています。軍政と、僧侶や学生、ビルマ国民との争いは絶えることはありません。
 法を無視する独裁政権により、今のビルマは、政治的に不安定で、内戦を抱え、経済発展が遅滞し、生活水準は低く、医療や保健、教育は劣悪な状況に陥っています。
 3百万人を超える人々が隣国に逃れざるをえない状況が存在しています。
 民主主義を求めて声を上げた人々の多くが投獄されています。

 こうした抑圧的な状況下で、ビルマ国内の学生と国民の間で、軍政に反対する動きが2007年8月第1週から始まっています。
 それまで教学に励んでいた多くの僧侶たちが、人々の苦しい生活を理解し、支持を表明して、抗議行動に参加しています。
 ビルマ全土には約40万の僧侶がいます。したがって僧侶の運動は全国に波及しています。

 2007年9月5日、ビルマ中部のパコック市内で僧侶たちが平和的な行進を行っていたときのことです。デモを解散させようとしたビルマ国軍は、投げ縄を使って僧侶たちを捕まえ、街灯に縛りつけて殴りつけ、逮捕連行し、強制的に還俗させました。8人の僧侶が未だに釈放されていません。
 政府によるこうした非道な行いに対して僧侶は謝罪を求めました。また同時に、逮捕された僧侶をすべて釈放すること、物価高騰への対策を講じること、対話によって政治問題を解決することも求め、回答期限を9月17日としました。

 軍事政権の独裁的な指導者たちはこの要求に応じることも歩み寄ることもなかったため、ビルマ全土の僧侶は9月18日に、教えに基づく覆鉢(鉢伏せ行、パッタムニックッジャナカンマ)を行いました。そして全国の街頭を行進して、抗議の意志を示しています。

 ビルマの僧侶による今回の宗教的抗議行動は仏陀の教えに基づくものです。アングッタラニカーヤ(増支部)の3の254頁とヴィナヤ、チューラヴァッガ(律、小品)に記されているとおり、8つの理由のいずれかに該当するとき、僧侶は覆鉢を行うことが許されています。今回はそのうち6つに該当しています。

【訳注】仏典上の該当箇所によれば、「覆鉢(鉢伏せ行、パッタムニックッジャナカンマ)」の要件とは以下の8つの行為である。これのいずれかに該当することを為した在家に対しては、覆鉢をなすことが許されている。またこの覆鉢を解く為には、本人が過失を認め懺悔し、仏陀がそれを過失として認め、受け入れ、作法に則って覆鉢を解くことが記されている(参考、『南伝大蔵経』第4巻、律、小品、190頁6行目〜194頁9行目。大蔵出版、昭和15年)。

(1) 僧侶たちへの布施を妨げる
(2) 僧侶たちの福利を損なう
(3) 僧侶たちの住処を荒廃させる
(4) 虚偽の中傷によって僧侶たちに汚名を着せる
(5) 僧侶たちの和合を乱す(破和合僧)
(6) 仏陀を誹謗する
(7) 仏法を誹謗する
(8) 僧団(サンガ)を誹謗する

 釈尊は私たちに次のように説いています。もしこうした抗議の話を聴く、もしくは知ったなら、それがどんなに離れた地域のことであっても、あるいは法臘の差に関わらず、また大乗か上座かを問わず、僧侶たちは皆、仏教を護るためにこの行動に加わるべきである、と。したがって覆鉢行は広く世界的に行われています。

 以上の理由から、私は日本に住む僧侶、尼僧、在家信者の皆さんに対し、ビルマの僧侶たちが現在取り組んでいる行動に注目され、共に実践してくださることを強く求めるものです。

僧侶
アシン・ケマサラ

全ビルマ青年僧侶連盟(ABYMU)
議長
abymuburma@yahoo.com
2007年9月18日

出典:Sd. Ashin Khemarsara, (Chair, All Burma Young Monks' Union: ABYMU), Appeal to all Venerable Buddhist Monks and People of Japan, September 18, 2007. なお日本語訳はビルマ語原文と英語版に基づいています。

ビルマ情報ネットワーク
http://www.burmainfo.org/religion/abymu200709.html
から転載





10日が期限の青春18切符がひとつ余っていて、
このところ運動不足気味かなと思ったので月曜日(10)に
小田原の大雄山最乗寺

道了尊という護法神の天狗さんへの信仰厚いお山で、
曹洞宗の禅の道場でもあります。
いまでも雲水さんがたくさんいます。



小田原から大雄山線で大雄山最乗寺へ3キロくらい。
近いんだろうと歩いたら結構遠かった。
小田原でお昼ご飯を食べた直後にはこたえました。
体が重くなるほど食べちゃいけませんね。

におうもん

やっと見えてきた仁王門
がく

におうさん

ここの仁王さんは頭がおっきい

仁王門から伽藍までも割と遠い。
さんどう

仁王門からの参道は「天狗の小道」という名前で
整備されていて歩きやすいです。スポンジのような柔らかい舗装

おおすぎ

杉が太い。
涼しいんですが湿度もある。
息苦しくはないけど汗が乾きません。

さんもん



まえかわ

台風の後で水量大目でした。
霧が出てます。

がらんず

山なので禅宗様式の七堂伽藍の左右対称は崩れてますが、
どの建物も至極立派

いってきせき

何だと思います?この岩?
いってきせき あんない

こういういわれです。


ごしんでん

その、岩を (・Д・ノ)ノ ポイッ と投げた天狗さん
「道了尊」を仏法守護の神さまとしてまつる「御真殿」への階段


すいりう

境内そこかしこに流れがあり
どこにいっても水の音が轟々と耳を離れません


せんぶつじょう

修業道場としての中心、「僧堂」
修行僧はここで坐禅も睡眠も食事もします。

ほんどう

これが本堂。
修行の便宜のため全部廊下でつながっています。


なんかちかごろ天狗さんがついたみたいに
山寺ばかり行ってますね。
でもいい運動になりました。

帰りは滋賀の大津で、「手すきの紙と遊ぶ」展 を見てきました。窖窯の先輩の日本画家のwさんが出してます。
山口、鳥取に来ていてたまたまおなじく18切符で帰京の
陶芸部の後輩Mくんと唐橋前で合流の予定。

合流前に字観調整のために山科の毘沙門堂門跡へ。
天海僧正とそのお弟子の中興にかかるお寺で、
一度行ってみたかったのです。


お寺の門をくぐったとたんに雨が本降りになり、
11時までの時間調整にちらっとのつもりが、
しっかり庭園まで拝観してきました。
その分Mくんを2時間近く待たせてしまった。ごめん。

毘沙門さまに「庭も見ていきなさい」と引き止められたのか、
「こいつの足跡は汚いから洗わんと」と
思し召されたのかはわかりませんが(笑)

予想通り、山を背負ったとてもいい環境のお寺でした。
本堂では、この間の東京国立博物館の天台の特別展に出ていた
江戸のはじめごろの菊と葵の蒔絵の入った密壇が現役で使われていて、
さすが門跡さんだなーと一人感動。

慈覚大師将来の法具唐の五古鈴、公弁法親王の書蹟、
御所関係のものなど展示されていました。
(公弁法親王は、赤穂浪士の処分をめぐって意見を求められた
 日光輪王寺の門主さんで、毘沙門堂に迎えられた
 皇族初の住職でもあった人)
公弁法親王所用の五鈷杵も展示されていましたが、
普通のものとは脇鈷の形が違っていて、
慈覚大師将来の鈴の鈷の形に似ていました。
鈷の節よりも先の方が長く伸びている形。
祖師のものに忠実に作られているのでしょうか。

ここの宸殿は御所からの移築。襖絵が面白いですよ。
狩野探幽の弟子の作で逆遠近法により景物が動いて見える、との説明。
逆遠近法って私にはよくわかんないけど、
一度見に行く価値がありますよ。
お庭もこのとおりきれい。
びさもんどうもんぜきのおにわ 心字いけ

毘沙門堂にわ

桧皮葺の観音堂がとっても絵になります。


松江での朝は雨だったので、傘を買ったのです。
折畳は小さくて頼りないから、65センチの長いの。
そしたら雨は午前中で上がり、
出雲大社などを観光しているときには
邪魔だなあと思いながら持ち歩いてました。
次の日瑜伽山に登るときも晴れていて、
邪魔だなあと思いながら持ってました。
で、愚かなことに瑜伽山の上の蓮台寺に置き忘れてきたのです。

そしたら下山のときに見事に雨に降られました。
麻混の作務衣で歩いていたからすぐ乾いて助かりましたけどずぶぬれ。
そしてここ、毘沙門堂から山科駅に戻るとき、
止んでいた雨がまた大粒に降り出す。
ツイてないのか私がバカなのか。

しかし、捨てる神あれば拾う神もおわしますとやら、
途中の線路の下で雨宿りしていると、隣にスーッと停車した車あり。
「さっき、毘沙門堂にいた人ですよね?」というので
そうですと答えると、なーんと車で山科駅まで乗せてくれました。
千葉のご夫婦で旅行中で、毘沙門堂で私を見かけたとのこと。
ほんとうにありがたかった。
今日は東京に帰りますと申し上げると
「よかったら京都まで乗っていきませんか?」とまで仰ってくださる
いろいろ面白い話ができそうなご夫婦でしたが、残念でした。
本当にありがとうございました(^人^)
お名前を聞いておけばよかった。


もうちょっとつづくかも
チベット僧による法話会『日常生活の中の幸せとは』を聴いてきました。

護国寺の広い本堂が満員の大盛況でした。

難しい話抜きの法話ながら、
すべての命あるもの(=衆生)は、
ミミズや蟻でさえも例外なく自分の幸せを求めて進んでいる
というところから説き始めて日常の中の幸せについて。


後半の質疑応答で、
 「(日本では若者は宗教と聞くと警戒してしまいますが)
  私は自分の宗教を持つべきなのでしょうか?
  もしそうなら、どのようにして自分の宗教を
  選べばよいのでしょうか?」
という若い女性からの問いに
 「『宗教』という名前に必要以上にとらわれることはありませんが、
  幸せを求める、というのがすべての人の願いであることは
  おそらく間違いないでしょう。
  そのうえで必要だと思うのなら、
  どうしたら自分の幸せを実現できるか、
  ということをよく吟味して選ぶのがいいと思います。
  世界には風土や生活習慣によって多くの宗教があって
  それは世界中にいろいろな料理や食文化があるのと
  同じようなものです。」
と非常に納得のゆく形で示されたのはさすがだなあと思いました。
文字で書くのは簡単なことだけど、
これがすっと言えるのは本当の宗教者でないとできませんよね。

じつはこの「なぜ『宗教』なのか」という問いは私の中でも
また、同年代の人と話していてもしょっちゅうでてくること。

この間も窖窯焚きながら某さんとこの話をしてました。
いったん『宗教』に対する違和感がある程度吹っ切れてしまった人
(私は寺に生まれてますが、だからって『宗教』に
 無警戒だったわけじゃありませんよ)には
『宗教』は三度の食事と同じくらいに当たり前に
どこにでもあることなのでしょうが、
この世の中ではみんながそうというわけではないのですよね。

この間その人と話してたときは、
 「私は幸せのあり方を宗教に求めようとは思わない」
ということばも聞きました。
「宗教」に警戒している現代の人の多くも
このように考えているのでしょう。
それから、小さいころから神道の死生観に馴染んでいるその人には、
仏教の論理そのものに親しみがもてないということも。
(もっともこれは私の説き方が未熟なせいでしょうが(苦笑))

このあたりをうまく噛み砕けるかどうかは、
私がまともなボウズになれるかどうかに絡む
だいじな問題かもしれません。




それにしてもチベット仏教の高僧は笑顔が素敵。


境内では骨董市もやっていてにぎやかでしたよ。

帰りにお神輿に遭遇。この土日はお祭りが多いようです。

10000にんめを踏んだかたには何か粗品を差し上げましょう。
陶器かも。
9月。
東京もだいぶ涼しくなってきたなーと思っていましたが、
昨日(4)はまたちょっと蒸し暑い日でしたね。
暑いのは苦手です。食後湯上りの汗が止まらないし。
かといって冷房や冷たい食事は嫌い。冷やすとおなかを壊す。
先月末の涼しかった奥飛騨の高地が恋しい恋しい。


この間、奥飛騨温泉郷に向かう途中に東京電力梓川テプコ館に寄りました。
だむ うえから

nagawato


ダムが深くて面白そうだったので
みんなでふらっと立ち寄ったんだけど、
だむ  て


これが大当たり。もう大興奮ですよ。

案内の人とダムの下まで一気に降りると、そこは肌寒いくらいの涼しさ。
地上(道路の高さ)まではてしなく続くかに見える作業用階段。
球面のように聳え立つダムの壁。
おーヴぁーはんぐ

(↑ちなみに今の携帯の待受はコレ)

070822_1541~001.jpg

目の前で高速回転する発電機。(↑真ん中の軸が回ってます)
なにもかも桁違いの数字。





ダムの底の結露でぬれた坑道を戻りながら、考えました。

瞑想はダムだと。

一見何も動いていないように見える静慮によって蓄えられたものが、
ある瞬間、一気に何かを回転させる。大きな力を生み出す。
似ている。と。





奥飛騨でみつけた逸品お菓子「豆つかげ」
お店に行くたびにちゃっかり買い物籠に入れていました。
しょうゆのやさしい味ながら、脳天に響くぼりぼりという食感。
やめられません。
ちょっと甘いのに不思議とお酒にも合う。
まめつかげ



18切符、まだ1つ残ってる。
10日が期限だ。
どこかに出かけようかな。
その前にレポート書かなくては。


旅行から帰ってきたら郵便受けに案内のはがきが届いていました。
5月にチベットフェスティバル2007のあった護国寺を会場に
チベット仏教の僧による法話会があるとのこと。

9/8 2-4時

入場無料だそうです。
http://www.tibethouse.jp/event/2007/070908_houwa.html
私も聴聞に行ってみたいと思います。
4日目は岡山の瑜伽(由加:ゆが)山へ。
山の上に瑜伽山蓮台寺があり、瑜伽大権現をまつる信仰の山。
ここも神仏混交。くわしくは↑の公式HPへ。
奇しくもこのたびは神仏混交の山岳霊場を回る旅、になりました。
出る前は不昧公のお茶関係とか備前焼とかも考えていたけど。

瑜伽(ゆが)とはサンスクリットのヨーガの音写。
もちろん最近はやっているヨガとおんなじ意味。
漢訳では伝統的に「相応」と訳しています。
密教の修行法「三密瑜伽」の守護神だから瑜伽権現。

瀬戸内海の向かいの金比羅権現とは、
江戸時代にはセットで信仰されていた神様のようです。
(詳しくは瑜伽山HPを)

いまでは金比羅さんほど有名でないかもしれない
この神様と私とのの出会いは、数年前の春休みに一人旅をした
大分の臼杵でのことでした。
たまたま立ち寄った神社の境内の末社に、
金比羅さんと並んで祭られていました。
「まさか日本に「ヨーガ」の名をもつ神様がいらっしゃるなんて!」
と驚いて、いつか参ろうと決意したのです。

岡山の瑜伽山は、お参りするには結構不便なところにありました。
倉敷からのバスも朝夕しかなく、本数の多いバス停からは遠いので
足に自信があるか、車でないと大変です。

しかしながらこのお山、苦労して参拝する価値が十分にあります。

なんといっても貴重なのは、本殿の神仏習合様式が
ちゃんと保たれていること。
奥殿の内陣には護摩壇が据えられています。

それから、池田の殿様が20年の歳月を費やして作った
客殿がすばらしい。建物は上段、上々段のある書院形式。
襖絵は丸山応挙!
京都市中にあってもぜんぜん不思議でないすばらしいものです。

どちらも写真を撮れなかったのが残念です(HPに一部ある)






大山の次の日は島根に入り、松江へ。
前日まで気持ちの良い快晴でしたが、この日は朝から雨模様。

雨の中はあまり移動したくないので、松江城周辺をぶらぶら。

田辺美術館は茶道関係の陶器がたくさんありました。
不昧公のコレクションも。
ただ、自分は江戸時代の日本の陶器はぴんとくるものが少ないので、
茶味というのは正直よくわからず。
手にとって使ってみればなるほどとわかるのかもしれませんが。

備前信楽のような焼き締めの物は、見ていていいなと感じました。
それから展示の最後の辺りにあった明治の布志名焼は、
緊張感があって好き。
砂鉄を調合しているという黒釉がつるりときれいでした。

松江城内には城山稲荷社、護国社、松江社の3つの神社があります。

城山稲荷神社は小泉八雲もよく訪れたという江戸時代からの城内の鎮守神。
石や陶器の狐さんが社殿を囲むように並んでいます。
島根の狐さんは、首のところに綱のようなものを
巻いているのがあります。
細いところは折れるからという石工さんの気配りでしょうか。

この狛犬はふつうのより口の開きが大きい。
城山稲荷狛犬 あ


松江神社の社殿は旧松江東照宮を移築したもの、と説明板がありました。
東照宮といえばどこも絢爛豪華極彩色、かと思っていたけどこれは白木。
今は松江城に関係のある方を主神として東照宮も合祀されています。
不昧(治郷)公も。
ここの手水舎も旧東照宮からの移築で
当初からのものらしいのですが、とっても軽い感じですきな建物です。
松江神社 手水舎

どうです?いいでしょ。
手水舎作ることがあったら参考にしたい(どこに?)



このあと出雲大社へ
ちょうど4:30の閉門間近
瑞垣の周りを私たちが出た後ろで扉を閉めていました。
あらためて正面の拝殿から拝んでいたら、
ちょうど神饌(しんせん:おそなえ)を下げるところで、
撤饌のときの音楽は笛と、締太鼓・大太鼓を一人で長い撥で打つ
ほかではあまり聞かない陽気な音楽でした。
古風というか、神話時代を髣髴とさせる感じ。
それに、儒教の礼法にある「聚足」という、
一段ごとに足を揃える階段の昇りかた、神社では今でもやるんですね。
(復古かもしれないけど)
古風存す、古風存す。



出雲といえば出雲そば。
しっかりした麺でおいしい。
このあと急いで6時4分の電車で岡山へ

出雲そば



ぼてぼて茶は飲みそびれました。
三徳山の次の日は大山寺へ。
ここも修験のお山です。

大山の神さま、大智明大権現さんのご本地はお地蔵さん。
参道の入り口から、至る所に石のお地蔵さんがいらっしゃる。
一町地蔵

お地蔵さんといえば右手に如意宝珠、左手に錫杖、剃髪染衣の
僧形のお姿が一般的ですが、ここの石仏のお地蔵さんは坐像立像とも、定印(じょういん:坐禅の印)に宝珠のスタイル。ちょっと珍しい。
ちなみに霊宝閣(宝物館)の中の御影(みえ:本尊の姿を写した画像)
は宝珠を片手に数珠を繰る姿でした。これもちょっといつもと違う。
感得像なんでしょうか。

大山門前

修験のお山らしく、ここも本堂まで登りが続きます。

つづく
大山 阿弥陀堂へ

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