不捨室雑録

僧侶志望の大学生が綴る日々の記録。 趣味の陶芸や大好きな仏教について、 まあるい頭で考えたことを書きとめていきます。 古い記事はこちらhttp://blogs.yahoo.co.jp/haganbisyou

2008.08.29 00:29 | | トラックバック(-) | コメント(-) |
13日の深夜に母方の祖父が亡くなったので、
木曜の夜から今朝(月曜)まで母の実家に行ってました。

小さい頃は夏休みなど母の里帰について行くと
車を運転して駅まで迎えに来てくれました。
あの頃は70代だったんですね。
母方なんで坊さんじゃない(農林業)けど、
小学五年生のとき高野山につれてってもらいました。
私の家から母の実家までは高速で2時間くらいかかるのですが、
長い休みにはしょっちゅう遊びに行っています。
元気なおじいさんでした。
90を過ぎて今年2月には7人の孫のうち内孫二人の結婚を見届け、
2月前に床につき先週初めに入院して4日目に亡くなったので、
現代ならまあ大往生の部類かと思います。
高齢で覚悟していたのであまり悲しい感じではないけど、
身内が死ぬのはやっぱり寂しいですね。
両親は土日にお寺の行事があって泊まらず帰ってしまったので、
火葬の前日は私が同じ部屋で寝てきました。
高齢で順序どおりの大往生で、親戚同士も非常に仲が良いので、
あんまり悲しんでいるというような感じではなくて、
どっちかというと法事のノリで賑やかでした。
祖父もみんな集まって喜んでいるのではないかと。

さて、週末の予定をみんな先送りしたので
火曜日に発表が2つ重なってしまいました。
準備全然できてません。今日はがんばんないと。
前回欠席したので今回こそはと楽しみにしていた金曜の勉強会も
2回連続で出られませんでした。むむむ

東洋大学文学部伝統文化講座
 千年の響き 眞言聲明 「弘法大師空海 御影供
を聴きに行きました。

出演は真言宗豊山派の迦陵頻伽karyoubinga聲明研究会さん。
舞台正面のスクリーンに映される巨大なお大師さまの御影mie、
お堂でするのとは逆に客席側に向いて再現された法会の配置。

四智讃を唱えながらリレー式にお大師さまへのお供えを手渡ししていく「奠供tengu」の場面で職衆sikisyu方一人ひとりが右手に印を結んで加持されるところ、いかにも密教だなあと感じました。席に着くときに挿鞋soukaiを入船式に脱いで着座してから中啓(扇子)でくるりと直すところなんかも旧仏教系の宗派では多分珍しくないのでしょうが、そっち側でない目にはかなり印象的。それから、讃の後に使う鐃(nyou:銅鑼)と鈸(hachi:シンバル)、散華の華籠なんかを承仕の方が使うたびに持ってきては片付けられるのですが、そのときの持ち方とか、唱礼(syourei:曼荼羅の中の仏さんの名を一人づつ唱えて礼拝する)のときに座具を使われるのだなあというのもはじめて拝見しました。座具の畳み方、展べ方も禅宗系の扱い方とは違うんだ。
どれも写真では見ていたり、あるいはお堂の中で使われているのは
拝見するのですが、舞台だと方向が逆で、しかも明るいのでよく見えます。
唐から日本の中世あたりの様式をきっちり伝えてるってすごいことですね。

私がこの「伝統文化講座」を知ったのは宿坊研究会のMLなのですが、
かなり反響があり、見に行った人も多いみたいです。
声明の詞章は確かに省略があったり漢語梵語でわかりにくくても、
1000年の風雪を生き抜くだけの力があるんだということと
年に一度だとして1500年なら1500回(あるいは練習も入れればもっと)繰り返され練り上げられた様式の美しさ、芸術性は、仏教的教養が薄くなりつつある現代日本人にも宗教的感動を呼び起します。

総合芸術てのは、教理だけとか瞑想だけとか儀礼だけとか、そういう単品でももちろん美味しいけど、複合して味わうともっと美味しい。

廻施法界回向無上大菩提(^人^)
(功徳を全ての命あるものにのこらず捧げて、
 仏の智慧を得ることができますように
 :法会の最後に必ずあるお祈りの言葉)
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