不捨室雑録

僧侶志望の大学生が綴る日々の記録。 趣味の陶芸や大好きな仏教について、 まあるい頭で考えたことを書きとめていきます。 古い記事はこちらhttp://blogs.yahoo.co.jp/haganbisyou

2008.08.29 00:29 | | トラックバック(-) | コメント(-) |
ついにうちの大学も麻疹流行のため休校、出席停止になった。
29日までお休みである。

困ったのは大学の図書館まで立ち入り禁止になっていること。
来週の土曜日までに卒論の序文の草稿を書かなければいけないし、
その前々日までには授業のレポ−トもあるのに困ったちゃん。

サークルも活動禁止らしいし、うちにいてももったいないから
山にでも遊びに行こうかな。

neko

護国寺のぬこさま
昼過ぎに郵便受けを見ると、この間注文したダライ・ラマ法王Teaching 2006 in 広島のDVD6巻セット+photo bookのうちのDVD1枚が、広島の文殊師利大乗仏教会からとどいていた。

いそいで見たいけど、法王さまにささやかな敬意を表して献香礼拝してお迎えした。

DVDの内容は「仏教とは何か」ということで四諦の説明。
もーね、すごいよ。チベット仏教。感動した。
整理というのはこういうのを言うんだろうなあ。
2時間くらいの内容をほとんど中断なく見てしまった。
実践と結びついた教理の体系を、一つの肉体の中に収める、
こういうことができるのをこそ、仏教のプロと呼びたい。
こういう高僧が比較的ごろごろいるなんて、チベット仏教圏はまさに地上の奇跡。
昼休み、近所の庭園にて。
かきつはた

某屏風そのまんまですね。
いいお天気で気持ちよかった。

国立博物館に特集陳列 拓本の世界 槐安居(かいあんきょ)中国碑帖コレクション
を見に行ってきました。

王羲之、王献之の小楷の拓本とか、拓本そのものももちろんよかったんですが、装丁の余白に押された鑑蔵印や題跋、書入れもすごくよかった。
篆刻は、私が好む「ちっちゃくてみっしり」のど真ん中で、繊細な朱色が紙から浮き出すように押されていて、字体や枠にも意匠が凝らされてとっても眼福。
拓本は有名なものは影印が手に入るのですが、題跋や鑑蔵印は白黒印刷でははっきりしないし、ほとんど省略されてしまって見ることができない。細楷の書き入れも自分で細楷書くときの手本にしたいので持ち帰りたかったんですが、あれって写真撮影禁止のマークがついてなければ撮っていいんでしょうかね。こんど訊いてみましょう。
それと、単眼鏡が欲しい。

何についていた跋か忘れましたが、これはいいなと思った細楷は何箇所か出る左払いの線がとくに綺麗で見所になってました。「観」という字の書きぶりがとても私好みでした。旧中国の知識人は科挙対策に細楷を死ぬほど習うんだそうですが、職人芸かってくらい冴えてる。私なんてへぼなので最初はわりあいかっちりしてても2行目くらいにはちっとも楷書らしくなくなってしまいますが、首尾一貫して活字のようになおかつ味わいある楷書を書くなんて、さすがは漢字の国。いまの日本のようにひらがなと混ぜ書きにしていたらかっちりした細楷は身に付かないんじゃないでしょうかね。だから昔の日本の男性知識人は平仮名じゃなく、かっちりを維持できるカタカナを使ったんだな、ってことは実感としてわかります。
弘法大師のように漢字の書きぶりに意味を内蔵させるような文字のデザインのしかたもおそらく「かな」を日常に使わないからできることで、表意文字の思考と表音文字の思考は根本的に違うんです。きっと。
ただ、弘法大師の場合は梵字という非日常の表音文字体系も使いこなしていた点、一筋縄では行きませんが、密教の文脈で捉えた場合、梵字は表意文字的な表音文字、頭文字のような扱いですから、表意でも表音でもない第3の文字体系かな。そういうのみんなわかっててやってるんだからやっぱりあの人はすごいとおもいますよ。
天性の才能を、仏教由来の禅定の力によって掘り下げて、再構築するとああいうアーティストが生まれるんですね。


ダビンチ展で混んでたのと時間が無かったので東洋館と日本館の仏像の辺りだけ見て帰ってきてしまいました。ふがいなし。
そうそう、仏教美術の辺りに、どこの寺の所蔵かわかりませんが、伝法灌頂に使う道具類、明鏡、玉幡、払子、金箆、法輪、阿闍梨天蓋、戒体箱その他一式が出ていましたよ。この前高野山の灌頂で見たもの(玉幡、戒体箱など)もいくつかあったので、おお、という感じ。
たぶん季節に合わせて展示してるんだと思いますが。

昨年のダライラマ法王の来日の際の説法などを
すべて収めたというDVDボックスを申し込んでしまった。
(4月末までに申し込むと4000円安くなるから)
衝動買いというわけではなくてほんとに欲しいんだけど、
私にしては結構高額な買い物。

3年前、一昨年は、陶芸の先輩を誘ったり誘われたりして
両国の国技館での講演を聴聞できたが、
昨年は学祭と重なったので行けなかった。
昨年はとくに私の先輩でもある広島の人が拝請したので、
広島ではチベット伝承の胎蔵・金剛の灌頂も行われ、
数日がかりの大規模な行事だったようだ。
私は行けなかったが、YBAの後輩は両方に参加したらしい。

おもえば3年前の国技館での来日講演では終了後に
チベット仏教の高僧ケンスルリンポチェをはじめ
いろんな方々とご縁を頂き、会話の中で般若経の常啼菩薩のこと、
常に泣いていた高僧が一生に3度だけ微笑まれた話、など
非常な驚きと興奮をおぼえたものだ。
常啼菩薩の話は何も初めて聴いた話ではなくて、
前から知っていたことだったのにあれほど印象に残っているのは、
やはり高僧の加持の力としか私には考えられない。

一昨年のやはり両国での講演は、確か私は前前日から
長野に行っていて、朝は善光寺の天台、浄土の2度の
お勤めにお参りして、急いで帰ってきて
そのまま陶芸の先輩たちと合流して聴いたのだった。
あの時はお土産に「如是姫」という日本酒を買ってきていて、
入り口で爆発物と間違われないかひやひやしたんだった。
で、帰りには会場近くはどこも混んでいたんで少し歩いて、
それで4人でご飯食べていたら近くの席でも法王さまの話をしていて、
「今日はどこも法王さまのはなしで持ちきりだね」なんて話したのだった。

で、去年は聴けず。私は学祭で陶器を売っていた。

おもえばいろいろと思い出があるものだ。
高齢でいらっしゃるけれども、これからもずっと
お元気でいらっしゃって、日本にも足を向けてくださることを
こころから願っている。

5月初旬から発送という。
待ち遠しいことだ。
庭儀三昧耶戒の法要が終わって退出されるお坊さん。儀式中はこの上に緑と赤の金襴の七条袈裟を着けていらっしゃいました。
上と下が分かれてて、衿の後に僧綱襟という三角に立った部分のある、袍裳、あるいは袍服という法衣ですね。
袍裳すがた

みごとに平安時代とおんなじだ!
年中行事

(年中行事絵巻)
こういうの見ると感動しませんか?




高野山にはこんな伝説もあります。
杓子の芝

生活感!?
木食行にご飯を盛る杓子が必要かどうかは疑問だから
ここは汁物用だったという事にしておきましょう。
それともお仏飯かな?
くわしくはこちら
私はデジカメ持ってったのに
あんまり写真撮れずに帰ってきてしまったんですが、
幸いにも先輩が送ってくれました(^人^)
あおぞらがとーっても綺麗に写ってるので、
やっぱり自分で撮ってこなくて正解だったかななんて(ぇ

本福寺の写真はこちらこちらからもどうぞ

本福寺本堂外観ホンプクジ


僅かに楕円のお堂、屋上が蓮池で、中央に階段があり、西側半分のなかにさらに円形朱塗りの本堂と四角い内外陣が納まってます。って言葉で説明するのは至難ですね。さらにこれをゼロから思いつくのはもはや、、、。
すいれん

屋上(しかも入り口)には睡蓮や大賀蓮などが植えられていて、夏には大きな花が咲くそうです。私たちが行った時には睡蓮が咲いてました。

わるいこ

本堂の入り口はこんな感じ(※よい子は柵をくぐってはいけません!)
両側にかわいらしい紅色の睡蓮がポツポツと咲いてますね。



こっちはちがうとこ
トト塔


5日の灌頂終了後、1時から教育学部のイシハマ先生の引率、おもに学生13人で護国寺から小石川伝通院界隈を散策しました。
伝通院は公式HPによれば

  「傳通院(でんづういん)は、今から約600年程前の応永22年
  (1415)、浄土宗第七祖了誉聖冏上人が開山したお寺です。
  当時は小石川極楽水の小さな草庵で、無量山寿経寺という名で
  開創されました。
  それから約200年後の慶長7年(1602)、徳川家康公の
  ご生母於大の方が逝去され、この寿経寺を菩提寺と定められ、
  於大の方の法名「傳通院殿」から「傳通院」と呼ばれるようになり、
  徳川家の庇護のもと大伽藍が整えられました。
  また。関東十八檀林の一つとして学僧の修行勉学の場となり、
  明治以後は淑徳女学校を設立し、檀信徒のみならず地元住民参加の
  新しい布教伝道方式による仏教活動を行い、
  教学の振興と共に社会事業も推進しております。」

ということで、曹洞宗だと駒込の吉祥寺、高輪の泉岳寺、芝の青松寺、真言律だと湯島の霊雲寺などのように、全寮制で多くの学僧のいた修行道場だったんですね。

元は広い境内であった、少し歩いたところにある鎮守の沢蔵司(たくぞうす)稲荷さん(慈眼院)は、江戸城の守護神であった稲荷の神さんが修行僧に変装してこの寺でお勉強なさってました、という珍しい縁起を伝えるお寺。元が神さまだけに才学は相当のものだったようで、僅か3年で浄土宗の奥義を体得。満足して戻られ、以後守護を誓われたそうです。蔵主(司も通用)というのは大蔵経を入れた経蔵の管理をする役職ですから、図書館主任みたいなもんですね。
この沢蔵主さん、お蕎麦が大好きだったという伝承もあり、当時通っていらっしゃったお蕎麦屋さん「萬盛」は現在も続いていて、毎朝欠かさず神前にお蕎麦を献じられるとか。

お稲荷さんはいろんな種類があって、伏見稲荷、豊川稲荷、最上稲荷など有名なお社が各地にありますが、多くの神々の中でもとくに仏教を愛される神様のようです。
伏見稲荷さんは弘法大師と東寺の守護を約束されて以来、毎年お祭りの時にはお神輿で東寺に立ち寄って法楽を受けられますし、道元禅師が宋で行脚中に腹痛で苦しまれたときには老翁の姿で丸薬を授けてこれを助け、帰朝の前日には本の書写を手伝われるなど、なんと海を越えてまで修行者を守護されるという熱の入れ様。さすが神さまはほんものをわかっていらっしゃる。
さて、そんなお稲荷さまですから、私なんぞがお参りすると「あ、ナマグサが来たな」とすぐにバレてしまいそうでコワいのですが、こんな修行者ですけどどうかどうかよろしくとお願いして来ました。(-m-)ジャリジャリ
そうそう、神仏習合時代(奈良〜明治、日本史のほとんど)は神さまも菜食していらっしゃる方とそうでない方がいらして、天神さま(天満宮・聖廟)や祇園の八坂神社などはずっと神饌(お供え)に精進料理を捧げてたんです。もちろん伊勢や諏訪は昔から魚肉の類をお供えしてましたが。明治以降はどこも杓子定規に同じお祭りの仕方をするので昔からそうだったんだと勘違いしてしまいがちで、こんなこと今では知らない人のほうが多いですよね。

この界隈はこんにゃく閻魔堂、善光寺(写し)などあって、一部戦災を逃れた建物もあるようなので面白かったです。

いつもありがとうございます(・人・)
5日、「チベット・スピリチュアル・フェスティバル2007」チベット式薬師如来(所作タントラ)灌頂の二日目(正灌頂)受けてきました。今日は菩薩戒、三昧耶戒、投花、マンダラに入っての正灌頂、鈴杵等の支分灌頂など。去年大阪で受けた多羅菩薩の無上ヨーガタントラの灌頂と比べてみて、なんとなく四種タントラの特徴、方向性がすこし分かった気がしました。あるいは単に存略の違いかな?

灌頂はとてもパワフルで有難い儀式ですが、行も戒も欠落だらけの私みたいのが受けても蚊子の鉄牛を咬むに似たりで、薬師如来の境地にはえらい遠い。
ただ、阿闍梨さまが説いていらっしゃった、「自分という存在が平凡だと思ってはならない、衆生、特に人間というのは、仏になろうという意志をいつでも何度でも確認できる稀有な存在なんだから、だからできる限りで利他の修行をつとめなさい!」というのを頼みの綱にしてやっていこうとおもいます。
三昧耶戒の十重禁戒のなかにも、灌頂を受けたから人と違う特別な力があるかのような慢心に十分注意して、他人の信仰を傷つけないように、というのがあります。気をつけよ。厳密には密教を学んでいること自体秘密にするべきなんですよね、ほんとは。


同日の不動明王の灌頂は受者の資格不問、こちらの薬師さまは主に僧侶対象で募集していらっしゃったので半分くらいは日本の法衣着た坊さんでした。阿闍梨さまの所属していらっしゃるチベット仏教のゲルク派はとくに出家比丘の200以上の戒律を厳格に守る宗派なので、戒律がゆるーく、あるいは違った解釈になっている日本の坊さんを、出家者として認めない、という態度もとればとり得るんだと思いますが、今回の法会では受者の席を左右に分けられて、出家者として扱う格好でした。さすが、チベット仏教側のヨユーですね。
だからこそ1日目夕方日本の坊さんからいびきが聞こえたときにはちょっとがっかりした。左側半数の僧職以外の熱心な信者さん方からも、インドから来たチベットの坊さんたちからも日本僧侶の代表として見られてるのだから、やせ我慢でも起きてて欲しかった。国辱。
坊さんの衣とか見てると、専業僧侶の受者は圧倒的に真言系の坊さんが多いようでした。私みたいに一見密教と関係なさそうに見える宗派の坊さんは私一人だったんじゃないでしょうか。袖が小さく襞の細かい直綴に黄色い七条如法袈裟の新義真言系の坊さん、褊衫裙に黄色い如法七条の古義系の坊さんのなかで、一人だけ禅宗式の袖の大きい墨染め直綴に墨の七条のお袈裟、しかも座具敷いて坐ってるのは浮いてたかもしれません。まあ、昔の絵巻物たとえば法然上人絵伝なんかはいろんな宗派の衣着た坊さんが庭に立って説法聴きに来てるの描かれてますし、それだけ法会がありがたいってことなのでいいんではないでしょうか。そもそもこの灌頂はチベットインド日本と三国以上またがってるのに枝葉の宗派に拘るのもナンセンスか。
でも、やっぱり真言のお坊さんって実践の探求に熱心でまじめなお坊さんがたくさんいらっしゃるんだなあというのをうれしく頼もしく感じました。
受者の皆様、おめでとうございます。

先日筍のれしぴを検索したら偶然見つけたhonyaというサイトの
「たべぶぎょうのもうそう」がめっちゃおもろい。

思わず涎が出る(^q^)ジュル 話あり、異国情緒あふれる食の話あり。
おもしろいので一気に読みきってしまいそうなのですが、
結構続いてて量が多いので毎日ちょっとづつ読んでます。
みんなも是非読んでみて。
泊まった宿坊は恵光院というところ。去年の常楽会聴聞のときは清浄心院に泊まりましたが、今度はそのお向かい。今回は陶芸関係の先輩たちと一緒で、男女2人ずつです。
恵光院お非時

清浄心院のときは一人だったので、宿坊のたたずまいの良さ、法会の感動など話す人がいなくて、美味しい精進料理を誰もいない部屋で一人でいただくと〜っても寂しい思いをしたのでしたが、今度は感動を分かち合えたのですごーく楽しかったです。あ、もしかして一人だけはしゃいでたかな。そうかも。でも、同じ泊まるのなら楽しいほうがいい、まさしく旅は道連れ。

宿坊には5時半過ぎ頃つき、写経用紙が準備されていて、お部屋で書きました。夕方食後に専用道場で阿字観、初歩ということで阿息観と数息観を教わります。朝は6時から本堂で理趣経を中心にお勤め、前後には梵讃の声明があります。終わって7時から7時半まで、護摩堂でお護摩。ご本尊が毘沙門天さま、というのは他ではあまり見ませんね。隣の熊谷寺の護摩壇は紙の天蓋が下がってました、これも珍しい。修してるの拝見したいです。
高野山にいる間は、弘法大師への敬意と、衣に慣れるのも兼ねて、前日に髪をつるつるに剃ってずっと法衣で過ごしました。勤行、入壇の時はこの上に七条の黒のお袈裟を。
大塔僧形

夕方の阿字観のときもこれで出たのでなんか見慣れない他宗の若いボウズがいるな、とお思いになられたのか、夜用事をお願いしたときにいらっしゃった方は次期住職さんで、いろいろ面白い話を伺いました。今25歳で勧学会2年目を終えられているって、さすが高野のお坊さんはすごい。高野の上綱さんと田舎寺とではもとより格が違いますが、同じ寺生まれボウズとしていい先輩を見つけました。そうそう、私は男の顔にはほとんど興味がないので顔の代わりにかぼちゃが乗っててもたぶん気づかないくらいですが、一緒に行った女性の話によると坊さんがイケメンだったとのことです。

連休と結縁灌頂でごった返している高野山に墨染め姿でうろうろしていると、高野山の坊さんだと思ったのか、それとも私がもともと隙だらけなのか、写真撮ってくださいとか霊宝館にはどう行けばいいんですかとかいろいろ訊かれます。わかるところはお教えしているとなんかだますのが面白いので、しまいにはカメラ構えている家族連れに「お撮りしましょうか」とこっちから誘ってみたり。ま、坊さんのイメージダウンになるようなことはしてないので罪にはならないでしょう。あとは、坊さん見るとついてくる、という犬についてこられたり。何でわかるんでしょうね?塗香の香りで?

昨年お世話になったクルト厳蔵師にも、路上で2回、偶然にお会いしました。

すべてがいいところですよ〜、高野山。
私は3度目ですが、何度でも訪れたい聖地です。
企画して、行きのチケット、宿泊の手配まで全部してくださったM先輩、ありがとうございました(^人^)

淡路島と高野山に行ってきました。
淡路島は安藤忠雄建築をハシゴ。建築家ってすごいですね。どうやってあんなカタチとか、太陽や月まで計算に入れた構造とか思いついて、作れるんだろ?

旅に出るといつも思っているような気もしますが、淡路島、ホントにいいところです。とくに初夏の薫風の時期に訪れたから、視界に海を含んだ景色がさいこーにきれい。果物も玉ねぎも酪農も畜産も盛んで食べ物も美味しい。淡路島は日本の地中海なんだって。そもそも地中海がなんなのか私は知んないけどね。そうそう、忘れちゃならない明石と淡路を結ぶ、たこフェリー。

淡路島は国生みの島。日本の創世記、古事記の神代の巻によれば、イザナギのミコト・イザナミノミコトによって日本という国が作られたとき、最初にできたのが淡路島なのです。他にも、日本書紀に初めてお香が登場するのが推古天皇の時代で、深香が淡路島に漂着したと書かれてます。だから、というわけではないのでしょうが、伊奘那諾(いざなぎ)神宮のある一宮は線香の生産量日本一。神宮の境内売店にも線香が売られてます。


高野山では胎蔵の結縁灌頂に入壇。その前の庭儀三昧耶戒は、前の日泊まった宿坊から歩いたので壇上伽藍に近づくにつれ法螺貝と鈸が交互に聞こえてきて、着いて大塔で受付を済ませた時にはちょうど庭儀が終わって、檜皮色の衣を着けた阿闍梨さまが金堂外陣の高座に登られたあたりでした。
ややあって、黒の衣に緑と橙の金襴の七条袈裟を着けた受者の代表者が、三昧耶戒を授けてくださるよう阿闍梨にお願いする乞戒が始まりました。かねて聞く乞戒声明の秘曲というのはこれなのでしょうか。訓読文にゆるやかな節のついたやや高音のものでした、同時に散華や対揚もかぶせて唱えられていたので、すべては聞き取れませんでしたが、かなり長いものです。そのあとで阿闍梨さまによる三昧耶戒の伝授。授戒に関連する仏菩薩がたに道場に降臨を願い、受戒の証明をお願いする  、戒律を受けるに当たっての障害になる重罪を犯していないか問う問遮。弟子の小さな罪まで懺悔させる懺悔、三帰依、衆生のために仏になりたいという願いを確認する発願五大願。三聚浄戒。密教独自の十重戒。
きらびやかな装束、天蓋や錦の幡で飾られた厳かな道場、重低音で、時には哀切な高音にせりあがって唱えられる声明、師資の柄香炉からゆらゆらとたちのぼる名香のかおり、本当に有りがたい感じのする法会でした、ただ、あの場に聴聞していたほとんどの人にとっては三昧耶戒の意味内容をはじめ今何の儀式をしているのかわからなかったと思うので、もう少し入壇前の説戒が丁寧だとよかったかなと感じるところもありました。
あるいは現代語に近づけたパンフレットを作成するとか。他門から覗きに行った感想としてはそんなところです。まあ、他門だから言えるんですけどね。無責任に。

灌頂については、未入壇の人が読んだら入壇した時の感動が削がれるでしょうから略。

還列


写真は三昧耶戒の授与を終えて、結縁灌頂大阿闍梨の法印さまが道場(金堂)から帰られるところ。このあと金剛峯寺を拝観して大玄関の前の庭の辺りをうろついていたら玄関正面に朱塗り朱鼻緒の下駄があって、しばらくして緋色の素絹に緋の紋白五条、朱塗りの杖を持った法印さまが侍者をつれて出ていらっしゃいました。「ようおまいり」と。
学生時代最後の五月連休は、123と陶芸の先輩に誘われて淡路島、高野山へ(詳細は後ほど)、昨日今日45は音羽の護国寺で行われているチベット・スピリチュアル・フェスティバル2007に行ってきました。

昨日はチベットに伝わる薬師如来の灌頂(所作タントラ)の前行で、内容は正しい動機の説法、勧請、魔除けの作法、帰依と菩薩戒の伝授などなど。今日は10時から灌頂の主要部分です。

それにしてもインドから来て下さった10人のチベット仏教の高僧方はパワフルですね。連日暑い人混みの中で屋外での護摩や砂マンダラ制作や祈願の舞踊や瞑想の指導や説法、それに各自のご修行と、息つく暇もない過密スケジュールなのに、夕方の灌頂でもまったく疲労の気配をお見せにならない。それに引き換え日本の坊さんは灌頂中いびきが、、、なんて事を言い出しても仕方ないですが、チベット式は鍛え方、仕込み方が違うし、伝道の意気込み、熱意も比べ物にならないほどすばらしいですね。

ゆえに瞑想指導してくださる会場の大師堂なんてこんな人だかり。
混んでる大師堂


堂内、廊下を埋めてなおあふれかえっています。連休とはいえ、日本人も捨てたもんじゃない。
ほんもののすごさを体で憶えてもらって、坊さんも仕事している人も、ますます仏教の慈悲心と空の智慧を広く深くできますように。
「本物を知る人」が一人でも増えたら素敵ですね(^人^)

今日は正午に灌頂が終わります。
墨染め姿の私を見たい人は1時に護国寺山門へ
なーんてね。
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