五月の連休は、前に書いた陶芸のOB、OGたちに誘われて、高野山に行くことにしました。やったー。胎蔵の結縁灌頂を受けます。結縁灌頂は誰でも受けられるものですが、私の場合、頭はボウズですが黙っていても結縁の機会は巡ってきませんので、絶えずこうやって仏さんとの繋がりを確認してないといけません。宗派とか細かいことに拘ってる場合じゃない。私は怠け者なので、さぼってるうちに時間が過ぎて、折角作った繋がりを擦り切らしてしまうことがあります。今度も用心せねば。宿坊とか行きのチケットは先輩が手配してくれました。感謝。
帰ってくる4,5日には今年は護国寺でも灌頂(チベット式)があるそうなので入壇したいんですが、予定を立てるのにぐずっているうちに予約が締め切られてて、当日受付に賭けるしかないみたいです。またしても後手。あー。それでもどうにかして連休は灌頂づくめにして、奮い立たせないと。
さて、4月も尽きかけ、やや気合入れて卒論の本を読み漁り、たまには授業に出て(週真ん中に3日1限演習が続いて気が抜けません)、バイトもちょくちょく、気晴らしに陶芸も、という日々です。多分大学最後の今年はこんな一年になるのではと。周りは就活とか試験勉強してるので、楽なほうなんでしょうね。サークルは普通は3年で追われるのが多いみたいですね。うち(陶芸)は追い出しが非常に弱い(一往追いコンはします)ので、OBOGと現役の間にほとんど切れ目がない。気楽です。そんなわけなんで、たまには陶芸の写真もアップしますよ。4年なのにのんきなものだ、と笑ってくださればよい。


粉引片口です。李朝の耳杯みたいにアクセントに鰭つけてみました。
化粧土は少し良くなったけど釉薬がもっと軽い青になるつもりだったの。。。に暗緑色になってしまった。手を抜かずにあく抜きやら篩やらしないときめ細かいもんはできないということですね。夜になってから撮ると写真も冴えません。後で差し替えよ。
帰ってくる4,5日には今年は護国寺でも灌頂(チベット式)があるそうなので入壇したいんですが、予定を立てるのにぐずっているうちに予約が締め切られてて、当日受付に賭けるしかないみたいです。またしても後手。あー。それでもどうにかして連休は灌頂づくめにして、奮い立たせないと。
さて、4月も尽きかけ、やや気合入れて卒論の本を読み漁り、たまには授業に出て(週真ん中に3日1限演習が続いて気が抜けません)、バイトもちょくちょく、気晴らしに陶芸も、という日々です。多分大学最後の今年はこんな一年になるのではと。周りは就活とか試験勉強してるので、楽なほうなんでしょうね。サークルは普通は3年で追われるのが多いみたいですね。うち(陶芸)は追い出しが非常に弱い(一往追いコンはします)ので、OBOGと現役の間にほとんど切れ目がない。気楽です。そんなわけなんで、たまには陶芸の写真もアップしますよ。4年なのにのんきなものだ、と笑ってくださればよい。


粉引片口です。李朝の耳杯みたいにアクセントに鰭つけてみました。
化粧土は少し良くなったけど釉薬がもっと軽い青になるつもりだったの。。。に暗緑色になってしまった。手を抜かずにあく抜きやら篩やらしないときめ細かいもんはできないということですね。夜になってから撮ると写真も冴えません。後で差し替えよ。
剃髪染衣(ていはつぜんね)とは頭を剃って衣を染めること、
円頂方袍(えんちょうほうぼう)とは、まあるい頭に四角いお袈裟。
どちらも僧の姿のことです。
卒業後に使う法衣が届きました。
連休、もしかしたら四国遍路行くかも知れないから送ってくれ、と実家に頼んでいたのです。
木綿の直綴(ころも)と絡子(らくす:禅宗式略五条袈裟)、七条のお袈裟、座具のみんな墨染め一そろい。
さっそく下に着る襦袢と鼠色の着物を押入れから出して着てみました。
新品なので何箇所も白いしつけ糸がついていて、それを一本づつとっていくのはなんか緊張します。
おっとそのまえに忘れちゃいけない受衣の作法が、、、「菩薩大士一心に念ずべし、仮名菩薩某甲、この七条、云々」一往唱えておきます。生身の菩薩も仏菩薩の形像もここにはないので形だけ、点浄もちいさくしておきます。
「こんなに袖大きいんだ。裾の襞もこれくらいだったかなと思っていたよりかなり深いなあ」
着物を頭から被って2箇所を女性の着物のように腰のところで腰紐で結び、その上から同じように直綴も着けて端折って、手巾なる指ほどの組紐を締め、露出した脛には脚絆。わらじ履き。これが雲水の旅装。
一休さんや親鸞さんの逸話を出すまでもなく、わたしみたいのが僧の形になっても尊いのは法衣だけです。せめて綺麗に尊げに着こなせるようになりたいですね。一生かけて。
円頂方袍(えんちょうほうぼう)とは、まあるい頭に四角いお袈裟。
どちらも僧の姿のことです。
卒業後に使う法衣が届きました。
連休、もしかしたら四国遍路行くかも知れないから送ってくれ、と実家に頼んでいたのです。
木綿の直綴(ころも)と絡子(らくす:禅宗式略五条袈裟)、七条のお袈裟、座具のみんな墨染め一そろい。
さっそく下に着る襦袢と鼠色の着物を押入れから出して着てみました。
新品なので何箇所も白いしつけ糸がついていて、それを一本づつとっていくのはなんか緊張します。
おっとそのまえに忘れちゃいけない受衣の作法が、、、「菩薩大士一心に念ずべし、仮名菩薩某甲、この七条、云々」一往唱えておきます。生身の菩薩も仏菩薩の形像もここにはないので形だけ、点浄もちいさくしておきます。
「こんなに袖大きいんだ。裾の襞もこれくらいだったかなと思っていたよりかなり深いなあ」
着物を頭から被って2箇所を女性の着物のように腰のところで腰紐で結び、その上から同じように直綴も着けて端折って、手巾なる指ほどの組紐を締め、露出した脛には脚絆。わらじ履き。これが雲水の旅装。
一休さんや親鸞さんの逸話を出すまでもなく、わたしみたいのが僧の形になっても尊いのは法衣だけです。せめて綺麗に尊げに着こなせるようになりたいですね。一生かけて。
日曜日、100日ぶりくらいに神泉の山に行きました。冬の寒い間足が遠のいてたんですね。春の山は山吹が綺麗に咲いて、黄緑色でした。

今日は窯の運営側として、他の団体と共有してる設備の保全、運営のための話し合い。
私は会議のためだけに行ったのでほとんど何もしてないのに、山で採れた肉厚のしいたけ一袋と、会員のお宅で採れた太い筍3本を頂いてきちゃいました。
いま、筍をあく抜きしつつこれを書いてます。こんなにあると一度では食べ切れませんね。しいたけは焼いて、筍はワカメと煮よう。筍の根本の固いところは擂りおろして揚げると美味しいと本で読んだけど、揚げ物は面倒だからいいや、でもお好み焼きに入れたりするのはもったいないかな。そんなことを考えているとあっちで鍋が噴きこぼれ、あやうく台所があく抜きされるところでした。
筍はわが大好物で、以前、蘇東坡じゃないけど、私は筍が年中生えてきたら、肉なんて見向きもしないね、と人に言ったら、このパリサイ人めと言われました。でも、気持ちはわかってください。残念ながら21世紀のこんにちでも美味しい筍は春しか生えてこず、したがって私も角煮をよろこんでぱくつく有様です。彼と一緒ですね、文章がかけないとこ以外は。

今日は窯の運営側として、他の団体と共有してる設備の保全、運営のための話し合い。
私は会議のためだけに行ったのでほとんど何もしてないのに、山で採れた肉厚のしいたけ一袋と、会員のお宅で採れた太い筍3本を頂いてきちゃいました。
いま、筍をあく抜きしつつこれを書いてます。こんなにあると一度では食べ切れませんね。しいたけは焼いて、筍はワカメと煮よう。筍の根本の固いところは擂りおろして揚げると美味しいと本で読んだけど、揚げ物は面倒だからいいや、でもお好み焼きに入れたりするのはもったいないかな。そんなことを考えているとあっちで鍋が噴きこぼれ、あやうく台所があく抜きされるところでした。
筍はわが大好物で、以前、蘇東坡じゃないけど、私は筍が年中生えてきたら、肉なんて見向きもしないね、と人に言ったら、このパリサイ人めと言われました。でも、気持ちはわかってください。残念ながら21世紀のこんにちでも美味しい筍は春しか生えてこず、したがって私も角煮をよろこんでぱくつく有様です。彼と一緒ですね、文章がかけないとこ以外は。
「つらつら日暮らし」のtenjin95さんの第21回『正法眼蔵』勉強会に参加してきました。
私は道元さんの法流を汲むフランチャイズの一店舗に生を受け、三宝と祖師としての永平高祖道元禅師の名のもとに得度もしたのであるが、恥ずかしながら正法眼蔵の講義というのはこれまでいっぺんも聴いたことがなかった。もちろん個人的にも道元さんは大好きであるから岸沢惟安老師の正法眼蔵全講などで一往読んではいたものの、肉声で聴いたのはこれが初めて。
古来、ボウズのあいだでは、正法眼蔵は難解ではあるがわからないながらも師家の講筵に坐っているとすこしずつわかるようになる、たとえあまりの難解さに憶えず居眠りしてしまっていても、祖師の慈悲心が毛穴から染み込んでいくのだ、と、囁かれている。
さて、冗談はこのくらいにして、今回は「心不可得」の巻。
極略でまとめれば、徳山宣鑑という自称金剛経の学僧(当時)(後に禅僧に転向する)が禅宗をやっつけに行く旅の途中で、餅(ピン)を売るおばさんに(得意の)金剛経の章句をネタにして逆にやり込められる。その公案について、あのばあさんはホントの禅の体得者であるかどうか、また、徳山は偉大な禅僧であるといわれているが、果たしてそうだろうか、という疑義を道元さんが述べて、門下の修行者に注意と答えを求めておられる。そんなに長くない。
私は一往この巻についての考えは出ていたのだが、聴いてみるとどうやらもう少し深い釈もありうるようだ。密教の四重釈のようにより深く切り込んでいく複数の釈があってもおかしくないし、あるいは自分の見解は間違っているか、いわゆる教網を出ていない、ということなのかもしれない。もっともこの巻は心不可得の内容については直接は書かれていないような感じも受ける。解説で出た経量部云々というのも気にかかる。私は道元さんは天台で基礎を作られたから天台観門のとおり止観の三諦円融で理解していらっしゃるんだろうなと読んできたが、それは普段どっちかというと天台に親しんでいる自分の贔屓目だったのかもしれない。
いずれにせよ私は正法眼蔵関連の明治以降の論を1本も読まないで、江戸時代までの文脈で正法眼蔵を理解しているから、そうでないのを聴くと非常に刺激になる。この勉強会は学生や宗派の中の人ではなく一般の社会人が対象だから、もしかしたら初歩的な講座であったのかもしれないが、私には十分それ以上の重みがあるものであった。
四月に入ってから、ほとんど急に「宗学聴きたいな」という念が起こっていろいろ探したが、網上で見つけた都内に開講されたののうち、泉岳寺のは土曜で聴きにいけないし、永平別院の眼蔵会は連休なので私は遊びに行って東京にいない。駒沢の聴講はもう締め切られている、というありさまで、正直出遅れに焦っている。何で自分はいつもこう後手後手なのだろうヽ(`Д´)ノ
それはともかく。
飛込みをこころよく受け入れてくださった主催者、講師、参加者の皆様には心からの感謝を申し上げます。
(-m-)
次回も是非聴かせていただきたいと思っております。よろしくお願いいたします。
私は道元さんの法流を汲むフランチャイズの一店舗に生を受け、三宝と祖師としての永平高祖道元禅師の名のもとに得度もしたのであるが、恥ずかしながら正法眼蔵の講義というのはこれまでいっぺんも聴いたことがなかった。もちろん個人的にも道元さんは大好きであるから岸沢惟安老師の正法眼蔵全講などで一往読んではいたものの、肉声で聴いたのはこれが初めて。
古来、ボウズのあいだでは、正法眼蔵は難解ではあるがわからないながらも師家の講筵に坐っているとすこしずつわかるようになる、たとえあまりの難解さに憶えず居眠りしてしまっていても、祖師の慈悲心が毛穴から染み込んでいくのだ、と、囁かれている。
さて、冗談はこのくらいにして、今回は「心不可得」の巻。
極略でまとめれば、徳山宣鑑という自称金剛経の学僧(当時)(後に禅僧に転向する)が禅宗をやっつけに行く旅の途中で、餅(ピン)を売るおばさんに(得意の)金剛経の章句をネタにして逆にやり込められる。その公案について、あのばあさんはホントの禅の体得者であるかどうか、また、徳山は偉大な禅僧であるといわれているが、果たしてそうだろうか、という疑義を道元さんが述べて、門下の修行者に注意と答えを求めておられる。そんなに長くない。
私は一往この巻についての考えは出ていたのだが、聴いてみるとどうやらもう少し深い釈もありうるようだ。密教の四重釈のようにより深く切り込んでいく複数の釈があってもおかしくないし、あるいは自分の見解は間違っているか、いわゆる教網を出ていない、ということなのかもしれない。もっともこの巻は心不可得の内容については直接は書かれていないような感じも受ける。解説で出た経量部云々というのも気にかかる。私は道元さんは天台で基礎を作られたから天台観門のとおり止観の三諦円融で理解していらっしゃるんだろうなと読んできたが、それは普段どっちかというと天台に親しんでいる自分の贔屓目だったのかもしれない。
いずれにせよ私は正法眼蔵関連の明治以降の論を1本も読まないで、江戸時代までの文脈で正法眼蔵を理解しているから、そうでないのを聴くと非常に刺激になる。この勉強会は学生や宗派の中の人ではなく一般の社会人が対象だから、もしかしたら初歩的な講座であったのかもしれないが、私には十分それ以上の重みがあるものであった。
四月に入ってから、ほとんど急に「宗学聴きたいな」という念が起こっていろいろ探したが、網上で見つけた都内に開講されたののうち、泉岳寺のは土曜で聴きにいけないし、永平別院の眼蔵会は連休なので私は遊びに行って東京にいない。駒沢の聴講はもう締め切られている、というありさまで、正直出遅れに焦っている。何で自分はいつもこう後手後手なのだろうヽ(`Д´)ノ
それはともかく。
飛込みをこころよく受け入れてくださった主催者、講師、参加者の皆様には心からの感謝を申し上げます。
(-m-)
次回も是非聴かせていただきたいと思っております。よろしくお願いいたします。
昨日18日、高輪の高野山東京別院で行われたラオウの葬式、テレビでも話題になってますね。
寺がこんなことして良いのか?という批判も聞こえてきそうですが、私はボウズのひとりとして、こういうのはアリだと思います(別に寺に金が入るのがいいってんじゃなくて)。
寺なんてほんとの葬式の時しか行ったことないというのよりは、こういうきっかけからでも線香の煙に馴染んだほうが視野が広がるし、じっさい高野山東京別院は、私も何度か阿字観やお不動さんの縁日でお参りさせてもらってますが、ただの葬式寺ではなくて、いつでも誰にでも開かれてるし、たとえば高野山について密教について仏教について知りたければきちんとガイドしてくれるし、がんばっているお寺です。(天下の高野山に小坊主がこんなこと言うのは不遜の限りですが)
しかも、仏教式で架空のストーリーの主人公を供養して、それにちなんだイベントをする、というのはちゃんとした先例があるんです。
それはたとえば源氏供養。
源氏物語の光源氏、あるいは作者紫式部の追善供養を口実に集まって和歌を詠んだり、もちろん読経講讃もする。
宗教のほうから言えば功徳を積み智慧を育てることになるし、参加者の側から言えば娯楽にもなる。他にも和泉式部供養とか、人麻呂講なんてのもあります。これらは実在の人物ですが、エピソードの大部分は後世に創作されたもの。多分当時の参加者、読者の大部分はそれらが実在の人物に名を借りた創作であることは百も承知なんだけど、それを縁として仏道の修行をするためにあつまる。それは宗教的にはなんら批判されるところのない、いいことなんではないかと思います。源氏供養は能にもなってるみたいですね。
さて、今回のラオウ供養は、源氏供養ほどの洗練と仏道への橋渡しはないみたいだけど、かつてはそういう見事な連係プレーもあったんです。いいなあ源氏。すきだなあ ゆるーいニホン仏教。
寺がこんなことして良いのか?という批判も聞こえてきそうですが、私はボウズのひとりとして、こういうのはアリだと思います(別に寺に金が入るのがいいってんじゃなくて)。
寺なんてほんとの葬式の時しか行ったことないというのよりは、こういうきっかけからでも線香の煙に馴染んだほうが視野が広がるし、じっさい高野山東京別院は、私も何度か阿字観やお不動さんの縁日でお参りさせてもらってますが、ただの葬式寺ではなくて、いつでも誰にでも開かれてるし、たとえば高野山について密教について仏教について知りたければきちんとガイドしてくれるし、がんばっているお寺です。(天下の高野山に小坊主がこんなこと言うのは不遜の限りですが)
しかも、仏教式で架空のストーリーの主人公を供養して、それにちなんだイベントをする、というのはちゃんとした先例があるんです。
それはたとえば源氏供養。
源氏物語の光源氏、あるいは作者紫式部の追善供養を口実に集まって和歌を詠んだり、もちろん読経講讃もする。
宗教のほうから言えば功徳を積み智慧を育てることになるし、参加者の側から言えば娯楽にもなる。他にも和泉式部供養とか、人麻呂講なんてのもあります。これらは実在の人物ですが、エピソードの大部分は後世に創作されたもの。多分当時の参加者、読者の大部分はそれらが実在の人物に名を借りた創作であることは百も承知なんだけど、それを縁として仏道の修行をするためにあつまる。それは宗教的にはなんら批判されるところのない、いいことなんではないかと思います。源氏供養は能にもなってるみたいですね。
さて、今回のラオウ供養は、源氏供養ほどの洗練と仏道への橋渡しはないみたいだけど、かつてはそういう見事な連係プレーもあったんです。いいなあ源氏。すきだなあ ゆるーいニホン仏教。
あたたかくなるとともに、雨の日も増えますね。
先日紹介した平安末期の入木道の伝書、『夜鶴庭訓抄』に
一、 雨中にもの書く。かたがたよし。身苦しからず。はやく書かる。墨も乾かず。
という一項があって、雨の日はものを書くのに良いようです。が、現代の榊莫山先生は、随筆の中で、雨の日は墨が乾かず、紙への墨の乗りも悪くて書きにくいと仰ってます。
これは多分文字の大小とか、書きようによるのでしょうね。打紙という叩いて滲みを押さえた紙や、にじみ止めの礬砂を引いた紙に濃い墨で、かな文字のような繊細な線をかくのなら雨の日は都合がいいでしょうし、莫山先生のように画宣紙に松煙の淡い墨で大きな字をかくのなら、雨の日は乾きが悪くてどうしようもないでしょう。私はどちらかというと滲まない紙で、手のひらより大きい字はあまり書かないので、雨の日にものを書くのは好きです。とくに細楷、写経には雨の日は絶好ですよ。墨の香りも際立つし、硯の墨も乾かないし。木版を刷るとき、紙を濡れ新聞に挟んで湿らして刷ると絵の具の乗りが良いんですが、そんな感じです。そうそう、この間チベット大蔵経の印刷をしているところの写真を見たら、やっぱり紙は湿して刷ってましたよ。
雨の日は、外に出ようとするとなかなか厄介ですが、おうちに引きこもるならなかなか良いものです。香を焚いても香りの広がり、留まりがいいし。煙もこころなしかゆったりと昇るように感じます。
雨の日は坐禅するのにも良いといいます。以前、たまたま聴いた某老師の提唱で、雨の日は雨の音をたよりに禅定に入れるからいい、と仰ってました。たしかに、聴く、ということに集中して、把握の力を集めるのは効果がありそう。
雨の音といえば、今の京都御所の清涼殿は果たしてその通りになっているのか、拝見したことがないのでわかりませんが、過去の清涼殿の屋根には、板庇を付けた部分があったということです。板庇は桧皮葺に比べて格下のもので、御所にはふさわしくないように思いますが、それをわざわざ付けたのは、なんと、桧皮葺では聴けない時雨の音を聴くためであったとか。なんともおしゃれの極み。
そうそう、この間の坂本の西教寺でも、ちょうど桃山時代の客殿を拝観している時にぱらぱらと落ちてきたのでしたが、池に落ちる雨を縁側から眺めるとっても価値のある時間を過ごせました。ああいうところでああいう天気に遭うと、もう心は画巻中の人。
先日紹介した平安末期の入木道の伝書、『夜鶴庭訓抄』に
一、 雨中にもの書く。かたがたよし。身苦しからず。はやく書かる。墨も乾かず。
という一項があって、雨の日はものを書くのに良いようです。が、現代の榊莫山先生は、随筆の中で、雨の日は墨が乾かず、紙への墨の乗りも悪くて書きにくいと仰ってます。
これは多分文字の大小とか、書きようによるのでしょうね。打紙という叩いて滲みを押さえた紙や、にじみ止めの礬砂を引いた紙に濃い墨で、かな文字のような繊細な線をかくのなら雨の日は都合がいいでしょうし、莫山先生のように画宣紙に松煙の淡い墨で大きな字をかくのなら、雨の日は乾きが悪くてどうしようもないでしょう。私はどちらかというと滲まない紙で、手のひらより大きい字はあまり書かないので、雨の日にものを書くのは好きです。とくに細楷、写経には雨の日は絶好ですよ。墨の香りも際立つし、硯の墨も乾かないし。木版を刷るとき、紙を濡れ新聞に挟んで湿らして刷ると絵の具の乗りが良いんですが、そんな感じです。そうそう、この間チベット大蔵経の印刷をしているところの写真を見たら、やっぱり紙は湿して刷ってましたよ。
雨の日は、外に出ようとするとなかなか厄介ですが、おうちに引きこもるならなかなか良いものです。香を焚いても香りの広がり、留まりがいいし。煙もこころなしかゆったりと昇るように感じます。
雨の日は坐禅するのにも良いといいます。以前、たまたま聴いた某老師の提唱で、雨の日は雨の音をたよりに禅定に入れるからいい、と仰ってました。たしかに、聴く、ということに集中して、把握の力を集めるのは効果がありそう。
雨の音といえば、今の京都御所の清涼殿は果たしてその通りになっているのか、拝見したことがないのでわかりませんが、過去の清涼殿の屋根には、板庇を付けた部分があったということです。板庇は桧皮葺に比べて格下のもので、御所にはふさわしくないように思いますが、それをわざわざ付けたのは、なんと、桧皮葺では聴けない時雨の音を聴くためであったとか。なんともおしゃれの極み。
そうそう、この間の坂本の西教寺でも、ちょうど桃山時代の客殿を拝観している時にぱらぱらと落ちてきたのでしたが、池に落ちる雨を縁側から眺めるとっても価値のある時間を過ごせました。ああいうところでああいう天気に遭うと、もう心は画巻中の人。
入木道とはひらたくいえば書道のこと。日本では「書道」よりこっちの言い方のほうが古いらしいです。お公家さんの間で伝えられたいわゆる流儀書道。世尊寺流とか京極流とか、日本史で習いましたよね。『夜鶴庭訓抄』、『才葉抄』、『入木抄』なんていうその道の秘伝書があって、群書類従に入ってます。
今本屋で売っている書道参考書と違うのは、執筆法とか練習の仕方、手本の選び方などのほかに、名筆家である弘法大師、小野道風などの説話と、御所でなんか書けといわれた時にどうするかという故実が盛り込まれている点。
ここら辺は今の書道とも、江戸時代なんかの書家の書とも全然違って、有職故実の香りが漂ってきますね。執筆法に五大五行を配当した口伝なんていうのも。
入木道とは違いますけど、現代中国の書道教則本もなかなか面白い。たとえば手本の解説に「逆筆で筆を入れて、筆の先端を引っ掛けたまま筆巻を進行方向の逆に倒して送筆し、次の画にむけて終筆する」という事細かな説明がされていたり、「中指、薬指、親指で筆を持ち、人差し指は軽く伸ばし気味にして添え、柔らかく蓮華の蕾の形に筆を執る」とか、なんか詩的です。(この説明は確かにわかりやすいなと思って、私は大きい字、篆・隷書を書くときは採用しています)
さて、私が今机の上に群書類従を借りてきているのは、昔読んだ入木道伝書のなかに、磨った後の墨を硯箱の向こう側隅に斜めに置くと書かれていたような気がするんだけど、右隅だったか左隅だったか、というのを調べるためです。
見つからないよー ヽ(`Д´)ノ
比叡山根本中堂の授与所に、梅の天台式のお数珠がありました。
私は前のブログに書いたとおり、去年の2/15の高野山常楽会聴聞の記念に初めてのお数珠を高野山の中本名玉堂さんで求めたのでしたが、それもやはり梅のお数珠です。今回もそれを手にしてお参りしました。授与所で新品のお数珠を見て思ったのは、自分の今持っているお数珠も買ったばかりのときは白っぽかったなあということ。毎日見ているので気づかないのですが、そういえばこのお数珠も、肌色のストッキングのような白っぽい色をしていました。その後3月に灌頂を受けたりしてまめに使うようになったので、いまでは少し深いつやのある色をしています。やっぱりお数珠は育つのですねえ。
今度の旅では、慈堂さんに教えてもらった京都のお数珠屋さんに是非寄って、いつか台密にご縁ができたときのために天台式の梅のお数珠も入手しておこうと密かに決めていたのですが叶いませんでした。そこはちょっと残念ですが、法華総持院の灌頂堂、山王院、三井寺の唐院と台密の聖地にはお参りできましたし、倶密の教えとのご縁は結べたように感じています。
そういえば、比叡山の授与所で扱っている叡山香はどこのお香屋さんが作っていらっしゃるのでしょうね。箱には書かれていませんでした。京都はよそには知られていない地元御用達のお香屋さんがたくさんあるといいますからねえ。前に行き当たりばったりで見つけた五条坂のお店もグーグル検索に出てこないみたいだし、まだまだ奥が深い、面白いところです。
慈童さんのブログで延暦寺の穴場をお尋ねしたところ、いろいろと教えていただいた上、『叡山三塔諸堂沿革史』という叡山学院から出ている本までお貸しいただきました。実際は滞在時間を早く切り上げたので三塔巡拝はしていませんが、まちがいなく御山の空気には触れられました。夏にでもまたいこうかな、と。ボウズの本音としては行院で行がしたいんですが、他門の私はまずお師匠さまを見つけるところからしないといけませんからおいそれとは。
2泊目は知恩院の宿坊和順会館。夜は門限11時なので、それまで丸山公園の桜を見たり、祇園の居酒屋で般若湯をいただく。筍の煮物とか生麩の田楽とか。出汁・味付けが違うんでしょう、旅情とあいまってとっても美味しうございました(^^) 一人旅の日毎に研ぎ澄まされていく感じはありませんが、人と来るとお酒楽しめるし、これもよし。一人では飲みたくなりませんから。
明朝は6時から大殿(御影堂)でお勤め。宿泊者は内陣に入れてくれます。坊さん10人でかなり荘重。早朝から荘重(ぷ)。
香讃(願我身浄〜)から始まって、阿弥陀経、四誓偈、四誓偈のあたりで内陣参拝者は焼香して、終わりの方はいろいろな祖師やご先祖への十念(お念仏×10)が繰り返され、最後には緋の衣の門主さまが外陣の方に向き直られて、十念のお授けがあります。門主さまと交互にお念仏をお唱えして念仏とのご縁を結ぶのです。終わってお説教。さすが知恩院。ちゃんと昔ながらの高座説教で、九州のお上人さんでした。全部で2時間ほどですが、いつ退出してもいいそうです。昼は暖かくても朝の大きなお堂は寒いので防寒対策はしっかりしましょう。私は阿弥陀経全部は暗誦していなかったので、高音の拍子木(割笏?)に合わせての早い阿弥陀経にはついていけませんでした。まだまだ勉強が足りませんね。
昼は泉涌寺へ。本当はここの子院、雲竜院で、江戸時代に朝廷から寄進された机で写経し、そのあと庭園を見つつお茶をいただくのが私の予定では今日の眼目だったのですが、本坊の庭園が美しかったのと、お腹すいたね、というので飛んでしまいました。今思うともう少し押していても良かったかな。当初の予定の大事なところを端折り過ぎたような気もします。やや骨抜き。
泉涌寺は2度目ですが、いいお寺です。もとは入宋して宋代の律を学んで来られた俊芿syunjyouさまの中興された御寺。律の伝統のあるお寺は、他とは違う張りつめた清潔感があって、私は好きです。前日の西教寺も、鎌倉の覚園寺もそう。からっとしていてだれたところがない。宝物館には歴代住持の肖像が展示されていましたが、皆、錦繍で飾った法座の上に茶色に染めた地味な法衣の律僧の姿で描かれていました。椅子は説法のために聴者の意思で飾られているけれども、説者の僧は修行者としての質素な衣。飾るところは飾る、守るところは守る。そんなポリシーを感じさせます。それはダライラマ法王の説法の時も同じ、世界共通のもので、日本にもその伝統がちゃんと「あった」ことを伝えているのです。無言の肖像の中にちゃんと主張がある。宗教のやりかたというのはこうでないといけません。「カタチだけ踏襲するのはだめだ」と言うのは簡単ですが、「カタチ」をきちんと踏襲するというのはそういうことなのですな。
三十三間堂、智積院。
明朝は6時から大殿(御影堂)でお勤め。宿泊者は内陣に入れてくれます。坊さん10人でかなり荘重。早朝から荘重(ぷ)。
香讃(願我身浄〜)から始まって、阿弥陀経、四誓偈、四誓偈のあたりで内陣参拝者は焼香して、終わりの方はいろいろな祖師やご先祖への十念(お念仏×10)が繰り返され、最後には緋の衣の門主さまが外陣の方に向き直られて、十念のお授けがあります。門主さまと交互にお念仏をお唱えして念仏とのご縁を結ぶのです。終わってお説教。さすが知恩院。ちゃんと昔ながらの高座説教で、九州のお上人さんでした。全部で2時間ほどですが、いつ退出してもいいそうです。昼は暖かくても朝の大きなお堂は寒いので防寒対策はしっかりしましょう。私は阿弥陀経全部は暗誦していなかったので、高音の拍子木(割笏?)に合わせての早い阿弥陀経にはついていけませんでした。まだまだ勉強が足りませんね。
昼は泉涌寺へ。本当はここの子院、雲竜院で、江戸時代に朝廷から寄進された机で写経し、そのあと庭園を見つつお茶をいただくのが私の予定では今日の眼目だったのですが、本坊の庭園が美しかったのと、お腹すいたね、というので飛んでしまいました。今思うともう少し押していても良かったかな。当初の予定の大事なところを端折り過ぎたような気もします。やや骨抜き。
泉涌寺は2度目ですが、いいお寺です。もとは入宋して宋代の律を学んで来られた俊芿syunjyouさまの中興された御寺。律の伝統のあるお寺は、他とは違う張りつめた清潔感があって、私は好きです。前日の西教寺も、鎌倉の覚園寺もそう。からっとしていてだれたところがない。宝物館には歴代住持の肖像が展示されていましたが、皆、錦繍で飾った法座の上に茶色に染めた地味な法衣の律僧の姿で描かれていました。椅子は説法のために聴者の意思で飾られているけれども、説者の僧は修行者としての質素な衣。飾るところは飾る、守るところは守る。そんなポリシーを感じさせます。それはダライラマ法王の説法の時も同じ、世界共通のもので、日本にもその伝統がちゃんと「あった」ことを伝えているのです。無言の肖像の中にちゃんと主張がある。宗教のやりかたというのはこうでないといけません。「カタチだけ踏襲するのはだめだ」と言うのは簡単ですが、「カタチ」をきちんと踏襲するというのはそういうことなのですな。
三十三間堂、智積院。
今日帰ってきました。出る時に東京が桜満開だったので帰ってきて散っていたらやだなと心配しましたが、まだ見られるみたいですね。
今回は道連れありですが、朝はいつものように東寺の御影堂にお舎利さん頂きに参りました。一昨年お参りした時に立ち話して名刺いただいた東寺の教化部長さんに、お会いするのは2度目ですと申し上げたら思い出してくださってました。相変わらず御影堂で会う京都のおばちゃんたちは優しくていろいろ教えてくれます。
ちょっとびっくりというかさすがだなと思ったのは、御影堂の向かい、大日堂という新しいお堂内陣の壇に、ぴかぴかだけれども弘法大師請来のを忠実に写したらしい鈴杵があったこと。独鈷三鈷も別の小金剛盤に乗っていました。東寺の後七日御修法は弘法大師以来の由緒ある法具仏画法衣を使って超厳格に修行するらしい、というのは聞いていましたが、こういう新しいところも手を抜かないんだなあ、さすが東密の東寺だなぁと感心してしまいました。前に来た時は気づかなかったので、私のヲタク度も成長したのでしょう(笑)
特別公開中の子院の観智院はとても手入れの行き届いた綺麗なお庭でした。後輩はどうやら仏像より庭がお好みのようでした。私は庭と仏像どっちかといわれると庭に背を向けて仏像を見てしまうほうなので、一人で旅していても庭はわりとすっ飛ばしてしまいますが、考えてみればどれもおんなじ様に見える仏像よりも、綺麗なお庭にのせて仏教を表現したほうが現代には合っているのかも。博物館なんかだと、多くの現代人には何が書いてあるかわからない古典籍や書跡よりも像や絵の前が混んでいますが、それと通じるものがあるかも。それぞれが作られた時代には多分文字のほうがわかりやすくて、状況は逆転してるんですね。「絵は声の無い詩である、だからあなたの句読が必要だ」という詩を思い出しました。だれか私の為に庭に句読を打ってください(^人^)
ここ観智院と東寺国宝館には大きい愛染明王がいらっしゃって、ある先生からいろいろ聞いてたので両方とも念入りに拝んでしまいました。じゃりじゃり(数珠。
東寺は、京都駅から近いこともあって何度もお参りするお寺なんですが、お寺が活きてる感じがあって好きですね。御修法といい御影堂のあさといい、境内に弁天社とか八幡社とか神仏習合の施設もちゃんとありますし、坊さんたちの布薩も毎月あるみたい。
三井寺。
宿泊した坂本の西教寺もいいお寺でした。ちょうど坊さんの卵たちが半月の研修をしているところで、廊下や食堂で姿を見かけました。私より若そうです。ああ、私は結構後れを取ってるな。宗派のスクーリングとか受けてないもんな。卒業後がんばんないとな。
宿坊のお楽しみ、朝のお勤めは6時半からでしたが、5時頃から声明付きの美しい旋律が流れてきていました。窓を隔てて念経を聴く、という詩句のような情景。朝は雷雨で詞章ははっきりとは聞き取れませんでしたが、あれが法華懺法というものでしょうか。
私たちの出た朝のお勤めは自我偈と般若心経でした。宿泊客に5時のお勤めは早すぎるという配慮で2度に分けてあるのでしょう。
比叡山上は東塔と浄土院にお参り。
根本中堂の内陣はうわさに聞くとおりほんとに深いんですね。右側の毘沙門天さんの壇の前と思しきところは床から天井まで白麻の幔幕がめぐり遮られていて、所々に青色の幡と華鬘が掛けられています。4月中ごろに行われるという四箇大法の用意なのでしょうか。このような荘厳は絵巻物でしか見たことがなくて、それが寸分違わずに今、目の前にあるということに感動します。
文殊楼の階段は聞いたとおり梯子に近いものでした。しかも私は文殊さんに礼拝したときに置いた荷物を楼上に忘れてきたので、階段と梯子を2往復。智慧の文殊さまにも私の阿呆はお手上げというお告げでありましょうか(笑)
そうそう、文殊楼の隅で私が無言で礼拝していたら、同時に登っていらした紺色の作務衣に輪袈裟の尼僧さんも五体投地で礼拝されました。そうですよね、誰もしてないとなんとなくやりにくいけど、仏さんのお姿があったらほんとは一番丁寧に拝みたいですよね。なんか私の考えに賛同していただいたようで、こんにちはくらいしかお話しませんでしたがとても嬉しかったです。
広い山内、どこまで巡拝したいかは決めていきませんでしたが、少なくとも浄土院の伝教大師御廟にはお参りしたかったので、ちょっと疲れ気味の友人たちに待っててもらって単身浄土院へ。宗派は違いますが伝教大師は尊敬するお祖師さまなので、教えてもらったとおりに拝殿の軒下を回って廟前に額づき、拝殿の前で静かに自我偈。短い時間しかいられませんでしたが、清らかさが本当に印象深いところでした。
それにしても、戒壇院、山王院など、名のみ聞いていたものが、ああ、ここか、と目の前に現れるのはなんとも言えずいいものです。
今回は道連れありですが、朝はいつものように東寺の御影堂にお舎利さん頂きに参りました。一昨年お参りした時に立ち話して名刺いただいた東寺の教化部長さんに、お会いするのは2度目ですと申し上げたら思い出してくださってました。相変わらず御影堂で会う京都のおばちゃんたちは優しくていろいろ教えてくれます。
ちょっとびっくりというかさすがだなと思ったのは、御影堂の向かい、大日堂という新しいお堂内陣の壇に、ぴかぴかだけれども弘法大師請来のを忠実に写したらしい鈴杵があったこと。独鈷三鈷も別の小金剛盤に乗っていました。東寺の後七日御修法は弘法大師以来の由緒ある法具仏画法衣を使って超厳格に修行するらしい、というのは聞いていましたが、こういう新しいところも手を抜かないんだなあ、さすが東密の東寺だなぁと感心してしまいました。前に来た時は気づかなかったので、私のヲタク度も成長したのでしょう(笑)
特別公開中の子院の観智院はとても手入れの行き届いた綺麗なお庭でした。後輩はどうやら仏像より庭がお好みのようでした。私は庭と仏像どっちかといわれると庭に背を向けて仏像を見てしまうほうなので、一人で旅していても庭はわりとすっ飛ばしてしまいますが、考えてみればどれもおんなじ様に見える仏像よりも、綺麗なお庭にのせて仏教を表現したほうが現代には合っているのかも。博物館なんかだと、多くの現代人には何が書いてあるかわからない古典籍や書跡よりも像や絵の前が混んでいますが、それと通じるものがあるかも。それぞれが作られた時代には多分文字のほうがわかりやすくて、状況は逆転してるんですね。「絵は声の無い詩である、だからあなたの句読が必要だ」という詩を思い出しました。だれか私の為に庭に句読を打ってください(^人^)
ここ観智院と東寺国宝館には大きい愛染明王がいらっしゃって、ある先生からいろいろ聞いてたので両方とも念入りに拝んでしまいました。じゃりじゃり(数珠。
東寺は、京都駅から近いこともあって何度もお参りするお寺なんですが、お寺が活きてる感じがあって好きですね。御修法といい御影堂のあさといい、境内に弁天社とか八幡社とか神仏習合の施設もちゃんとありますし、坊さんたちの布薩も毎月あるみたい。
三井寺。
宿泊した坂本の西教寺もいいお寺でした。ちょうど坊さんの卵たちが半月の研修をしているところで、廊下や食堂で姿を見かけました。私より若そうです。ああ、私は結構後れを取ってるな。宗派のスクーリングとか受けてないもんな。卒業後がんばんないとな。
宿坊のお楽しみ、朝のお勤めは6時半からでしたが、5時頃から声明付きの美しい旋律が流れてきていました。窓を隔てて念経を聴く、という詩句のような情景。朝は雷雨で詞章ははっきりとは聞き取れませんでしたが、あれが法華懺法というものでしょうか。
私たちの出た朝のお勤めは自我偈と般若心経でした。宿泊客に5時のお勤めは早すぎるという配慮で2度に分けてあるのでしょう。
比叡山上は東塔と浄土院にお参り。
根本中堂の内陣はうわさに聞くとおりほんとに深いんですね。右側の毘沙門天さんの壇の前と思しきところは床から天井まで白麻の幔幕がめぐり遮られていて、所々に青色の幡と華鬘が掛けられています。4月中ごろに行われるという四箇大法の用意なのでしょうか。このような荘厳は絵巻物でしか見たことがなくて、それが寸分違わずに今、目の前にあるということに感動します。
文殊楼の階段は聞いたとおり梯子に近いものでした。しかも私は文殊さんに礼拝したときに置いた荷物を楼上に忘れてきたので、階段と梯子を2往復。智慧の文殊さまにも私の阿呆はお手上げというお告げでありましょうか(笑)
そうそう、文殊楼の隅で私が無言で礼拝していたら、同時に登っていらした紺色の作務衣に輪袈裟の尼僧さんも五体投地で礼拝されました。そうですよね、誰もしてないとなんとなくやりにくいけど、仏さんのお姿があったらほんとは一番丁寧に拝みたいですよね。なんか私の考えに賛同していただいたようで、こんにちはくらいしかお話しませんでしたがとても嬉しかったです。
広い山内、どこまで巡拝したいかは決めていきませんでしたが、少なくとも浄土院の伝教大師御廟にはお参りしたかったので、ちょっと疲れ気味の友人たちに待っててもらって単身浄土院へ。宗派は違いますが伝教大師は尊敬するお祖師さまなので、教えてもらったとおりに拝殿の軒下を回って廟前に額づき、拝殿の前で静かに自我偈。短い時間しかいられませんでしたが、清らかさが本当に印象深いところでした。
それにしても、戒壇院、山王院など、名のみ聞いていたものが、ああ、ここか、と目の前に現れるのはなんとも言えずいいものです。
| ホーム |


