不捨室雑録

僧侶志望の大学生が綴る日々の記録。 趣味の陶芸や大好きな仏教について、 まあるい頭で考えたことを書きとめていきます。 古い記事はこちらhttp://blogs.yahoo.co.jp/haganbisyou

2008.08.29 00:29 | | トラックバック(-) | コメント(-) |
今夜から今月いっぱい比叡山に行ってきます。

園城寺とか石山寺も見る予定。
京都は桜咲いてるかな。混まないといいな。
お花見の二次会でみんなが話すのを聞いていたら、
大半が社会人をやってる、去年一昨年に卒業した陶芸のOGたちが5月の連休に高野山に旅行に行くらしい。
5月って結縁灌頂の時期ですね、と言ったら、どうやら入壇(灌頂に参加)もするようだ。いいなあ。
日本仏教の両部の灌頂は、私はまだ受けたことがない。
阿字観もしたいとのことだったので、東京別院でも毎月してますよとお知らせした。
私は知識も経験も浅いし人脈もないから紹介というほどのことはできないけど、こういう情報をちょっとだけ提供できる瞬間には、仏教ヲタクでよかったなと思う。
小さな経験を大きく活かせる、というのはうれしい。

こういう時代だからそれこそ検索で何秒とかからずに数百件出てくるだろうが、宗教系はやや首をかしげるようなところがものすごいお金を掛けた宣伝をしていたりするし、あまりアテにならない。

微力ながらちょっとでも影響を及ぼせたらいいな。
ふとしたきっかけでフツーの人が仏教に近づけるように。
近づいた人がより深く踏み込んで理解できるように。
karasu

かも



  巴陵、因みに僧問う、祖意と教意と、是れ同か是れ別か。

  師云く、鷄寒うして樹に上り、鴨寒うして水に入る。

巴陵和尚に僧が尋ねた。
Q「祖師の意図(ZEN)と経典の意図は同じでしょうか
  ちがうものでしょうか。」

A「鶏は寒いと木に登るし、鴨は寒いと水に入るのだよ。」




昨日は某所でお花見でした。
おもしろかった。

ここしばらく自家の座床を抛って教意を齧っていますが、
ちょっとずつ祖意のための準備も始めました。


修行がしたい、そういうかわいい後輩の要望にこたえるべく修行っぽい体験のできる寺を探しているのですが、そういわれるとなかなか困っちゃいますよね。修行ってなんなのかということ。

私もボウズのタマゴではあるので、世間で修行というようなこと、坐禅観法、写経読誦、どれかひとつくらいしない日は無いわけですが、写経なら写経を単独で、切り離してやったところで得られる功徳は薄いだろうなと思うのです。チベット仏教が得意とするラムリム、修道次第ほど精緻でなくとも、修行には方向性とか自己の観察というのが不可欠で、京都の閑静なお寺で数分の坐禅をしてなにやら神妙な気持ちになった、ただそれだけではほんとの修行にならん。確かに体験、薫習は大事なんですが、体験や知識の統合がすんなりできないと宗教行為は単なる時間の無駄と言われかねない。
特に最近法王さまの非仏教国での説法を記録した本を3冊続けて読んでそう思ってるのです。
こう言ってる私も修行の真似事はしていながら、なかなかうまく笑えるようにはならないし、他人には無関心なままだし、どこかにうまくいっていないところがあることは、皆さん知っている通りなのだけど。


それを自己の意識にどう影響させて、自分の刹那ごとの変化にどう関連付けるかがやっぱり大事で、そう考えるとチベットで整理されたところの、「始めに一切衆生のために仏の境地を得ようという菩提心を起す」という一連の流れに勝るものはないなあと感じる。今の日本仏教の多くは整備が行き届いていないか、詰まっている水路のようなところがあります。うまくブッダの智慧のところまで流れればいいけど、どうかすると詰まってるところにひっかって他のところに流れてしまいそう。もちろん綺麗に掃除されてる水路もたくさんあるんですが、じゃあどーして日本人に「仏教って何?」って訊いても大半が答えられないのでしょう。やっぱりまだ詰まってるところがたくさんあるのは、にっぽんボウズとして遺憾ながら認めざるを得ません。

さて、とりあえずここ数日で探してみたところでは、旅行先には当日行って写経をさせてくれるところ、朝のお勤めのある宿坊、はいくつかあるようです。だからあとは参加者がうまく体験と知識の統合ができるように誘導できるかどうかですね。
いや、誘導なんて高等なワザは私にはないか。まあ、こんな感じだよって見て、触って、親しんでもらえたら私はすんごーーーく、うれしいです。
比叡山に行くけど誰か一緒に行きませんかと陶芸のMLで誘ったら3人も釣れて乗ってきて、29日から2泊で行くことになりそうです。ナマグサ坊主と行く比叡山京都2泊3日巡礼の旅(笑)
卒論でも比叡山関係をやるので、いっぺん行っとかないとと思っていたのです。去年高野山の帰りに坂本の西教寺までは行きましたが、そのあと草津線のほうに用事があって山上には行けず、山王さんも遥拝だったので気になってました。

私は音にきく鮒鮓なんかをつまみつつ遊覧でもよかったのですが、参加者の一人、陶芸の後輩が、「普段できないようなガチ坊主プランがいい(原文」と仰るので宿泊は宿坊にして写経とかしつつの旅になりそうです。これもいいね。
人数が3人以上でないと申し込めないのでこれまで見られなかった三井寺の特別拝観の区域とか、そんなところも攻めてみようかと思ってます。

春休みの締めくくりに比叡山。今から楽しみ^^
14,15と青梅の御岳山上の宿坊で東洋哲学専修の合宿でした。
ところが前日にふらりと静岡方面に出かけて三島でのんびりしていたら、所要時間を大幅に読み違えて遅刻。やっちゃった。
合宿は一日目は今年卒業の人の卒論の要旨の発表。
インド中国の数千年間のうちいろんなところを研究していらっしゃるので私にはさっぱりわからないところ、興味のあるところ無いところいろいろですが、来年書く上で量とかテーマ設定とか参考になります。ちなみに二日目は課題図書の読書会。
東京の夜景と綺麗な星と夜明けの見られるいいところです。

青梅夜景

ほんとはもっときらきらしてるのですが

やけい2

よあけ1


御岳山上にはふもとの滝本からケーブルカーが出ていて、往路はそいつを使ったのですが帰りは歩いて下るという人にくっついて歩き下山しました。杉の大樹の間を抜ける1時間足らずの下り道で、舗装されてるので楽です。この間の熊野で足は慣れていたし。駆け下るほどの元気はありませんでしたが。

電車を待っているあいだ、坐っていたら寄り道がしたくなったので、御岳渓谷沿いに散歩。他の人さそおうかなとも思いましたが、下山で疲れていそうだったので。

そういえば去年は越生梅林に寄ったりと梅見に縁があったのに、今年は熊野に出かけたりしてそんなに見ないうちにもう近所では散り果てていたのでした。御岳山の麓は山間ゆえか丁度見ごろ。多摩川の流れにそって遊歩道が通っていて所々に梅が植えられています。流れが近くて夏などは暑気を忘れられそう。流れの音に耳の塵をあらうのが好きです。私有地を持ち主の好意で遊歩道化しているそうですが、手を加えすぎず、途中には足元を透かした橋などもあって散策には絶好です。地元の人が理解あるからなんでしょうね。

はし

はし2

うめほこら

緑の椿の葉に白梅が映えて実物はもっと綺麗でした。
はし3


途中には沢の井酒造の酒蔵や、雲慶院というお寺も。
うんけいいん1

うんけいいん2


茅葺の本堂?がいい味を出していて、参道にはやはり梅が並んでいます。すごくかっこいい文字の禁葷酒碑が踏み切りの側にあった(犬に吠えられて撮影断念)ので、昔はさぞかし広い境内だったのでしょう。左側に幼稚園があって子供の遊声が聞こえましたが、山を背負って目の前に川の流れる非常に良い立地のお寺です。Zen templeと看板がありましたが境内には入らなかったので派がわかりませんでした。

なにやらゆかし
なにやらゆかし


花に気を取られて歩いているうちに二駅分ほど歩いたようです。
暗くなる少し前に軍畑駅から電車に乗りました。
熊野にはご神木のナギという木があります。漢字では木篇に那。
http://www.mikumano.net/meguri/singu.html
新宮大社の授与所に苗木を見つけたので、お連れして帰ろうと思いましたが、神職さんに聞いてみたら寒冷地では越冬できないとのこと。残念ながら諦めました。
そういえば少し前にブータンのお香を買ったら、材料の一つに「ナギ」と書いてました。もし同じ木をさしてるとしたら香料になるのかな?針葉樹なのでヒノキとかと同じスーッとした香りがしそうです。ネットでは樹皮のタンニンを染料となめしに使うとしか見つからない。

木といえば、那智山に海辺の渚の宮から歩いて登る道筋には、樒(シキミ)の木が生えてました。ちょうど花の時期で、白いぴらぴらした花が葉の陰に見えました。
樒は葉の形が蓮華に似ているとか香気があるという理由で、仏さんにお供えするのによく使われます。お護摩の時に後ろで拝んでいると、行者さんが脇の机から何か緑のものを壇に投げるのが見えますが、あれも蓮華を意味した樒の葉のようです。ほかにも葉と樹皮は粉にして抹香にする、とありますから、仏事には欠かせない木なんですね。
でも、実は私、数年前まで樒の葉を見分けられませんでした。どうしてかというと、北国では樒が育たないんです。だから供花にも榊とか他の常緑樹を使うんです。抹香は桂とか合歓の木とか。

香木って南の方で取れるのが多いようですね。沈香、白檀、丁子もそうだし。チベットは香草薬草の宝庫らしいですけど。

そうそう、熊野の樒にはこんな伝承(90 阿弥陀寺のところ)もあるようですよ。
うっかり盗掘なんかしてこなくてよかった。


和本の装丁についての本を数冊借りた内、

『古典籍の装幀と造本』

は、これはかなり参考になる本です。
袋綴じ、巻物、折本、帙などの作り方が装丁のテクニックをここまで公開していいのかなというくらい実に懇切丁寧に書かれてます。料理本のノリです。

他にもいろいろ読んでいたら、本の虫(人じゃなく虫のほう)についても書いてあって、この間買ってまだ開いていない本が心配になったので、開いてみました。
ああ、箱の中に隔離してて正解だった。いたんです。虫が。虫食い進行中。

貴重書が虫に食われることを蠧魚(とぎょ)の災いなんて言いますが、蠧魚こと紙魚(しみ)はそんなに害が無くて、実際に和本を食い荒らすのはシバンムシという虫の幼虫で、2~3ミリくらいの蛆。こいつが本の中にトンネルを掘り進んで、糞や分泌物でページがくっ付く。

折本経本のくっ付いたページを一枚一枚開いていくと、虫の糞で机がざらざらに。そのあいだからぽろぽろと零れ落ちる、2ミリほどの勾玉の形をしたワーム。
うわー。私は虫が苦手ですが、なかでもワームは大きらい。慈念衆生猶如赤子と言葉では憶えているものの、、、。机の上にぽとりと虫が落ちるたびに、両腕に鳥肌が立ち、全身が引き攣ります。

幸いにというか、不幸にもと言うべきでしょうか、シバンムシは紙の中でしか生きられず、空気に晒されると1分ほどで死んでしまい、この手でつぶす必要はありません。10数冊で20匹ほどが、机の上で息絶えました。(写真あるけど見たくないだろうから載せません)
電子レンジで殺虫できるとのことですが、経典読むために虫殺すってのもどうかなと思うので止めました。本棚に移して伝染すると困るのでこの本は箱に入れて保管することにします。

表紙が幾分厚く、中に虫がいたら再発しそうなので、早めに修理することにしましょう。

日曜、強風吹き荒れる中、午後から今度の合宿の課題図書を借りに文京区の図書館に行ってきました。なんで大学の図書館じゃないのかというと、大学にあった二冊は既に借りられてて、豊島区新宿区では持ってなかったから。早く手を打たないとこういうことになりますな。
その本というのは「仏教と儒教」
http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E7%89%88-%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%A8%E5%84%92%E6%95%99-%E8%8D%92%E6%9C%A8-%E8%A6%8B%E6%82%9F/dp/4876361142
分厚いほんであります。まともな本から遠ざかっていた休みボケした頭には重いパンチ。
まだ目次と前書きしか読んでないものの、宋代儒学と華厳と禅とのかかわり、というかなり興味のあるテーマ。看話禅と黙照禅の話なんかも出てきそう(目次より)。
華厳経は60巻もあるのであんまり身を入れて読んだことないのですが、本格的に読むことになるかも。

隣の棚を見たら、ダライラマ法王の「怒りを癒す」「日々の瞑想」「死と向き合う智慧」があったのでついでに勝縁によりこれも借りてきました。
あとは和本の装丁に関する本。

そんなわけで久しぶりに見台を拭いて読書に耽ってます。
070307_1708~001.jpg

070307_1709~001.jpg

この間入手した、師寮寺の欠本を補える(?)かという法華経2冊本の乾巻、つき合わせてみたら前からあった坤(巻4〜8)の方が数ミリ長い。
これは仕方ないですな。和本は手作りだから。
化粧断ちするときの大きさはそのとき限りで、たとえ同版のを入れ本しても合わないのが当たり前。印刷部分の書体、幅は同じで、多分同版は間違いないと思います。表紙の文様、題簽も同じだし。元の(坤)の方が手沢ついてますね。
坤の末には平井文永堂から出されたことが書いてあります。
今度は離れないようにいずれ帙を作ってあげましょう。

なんか最近古書の話題ばかり(笑)
でも和本ってすごく好きなんですよ。しなやかで、姿も綺麗で。
しかも仏教書。
1404.jpg


こっちにいるうち、月イチくらいでいろんなお寺に一信者としてお参りしてるんですが、一つ気になることがあります。住職なさってる坊さんも見ていらっしゃるかなとおもってナマイキ承知で書いてみます。別に特定のお寺のことじゃないです。
それは法話、説法の時の姿勢のこと。

大抵のお寺はお経終わった後にすぐ解散じゃなくて法話があるのでいいことだと思って大抵いつも喜んで拝聴して帰るのですが、ほとんどは話す方が立ってて、聞く方がそのまま坐ってるんです。これって仏教的にはあんまり良くないんではないかなあと思って。あんまり本格的な長い説法は嫌われる風潮だから略してるのは承知してますが。

昔の日本の絵巻物とか、チベット、スリランカなどの仏教はいまでもそうだと思うんですが、説法の時には半畳くらいの広さで後に背もたれのような大きな後屏のついた高座をしつらえて、前机と脇机を立てて、前の机には草稿と香炉と戒尺を備えて話してるのが描かれてますよね。律宗の肖像は例外なく机に三衣袋、戒尺、柄香炉置いて描いてますし。いま、この形は説戒のときくらいしか残ってないのでは?

身近な経論を尋ねると、梵網経の説法乖儀戒にはこうあります。

  若し佛子。常に教化を行じて大悲心を起こすべし。
檀越、貴人の家、一切衆の中に入りて立って白衣のために法を説くことを得ざれ。應に白衣・衆の前には高座の上に坐すべし。法師・比丘は地に立ちて四衆の爲に法を説くを得ず。若し説法の時は。法師は高座にして香花供養し、四衆聽者は下に坐し、父母に孝順するが如くに師の教に順じ、事火婆羅門の如くすべし。其の説法する者にして若し如法ならずんば輕垢罪を犯す。

ここは白衣(=在家の人)に対して説法する時のことなんですが、同じ経の故入難処戒には比丘(出家男性)の中で戒を誦する時にもその人は高座に登るべきだと書かれてます。
要するに、出家してるからではなくて、説法する人を尊んで高座に据えて、立っては説かせないということです。道元さんの正法眼蔵の礼拝得髄の巻にも、ほんとに法を説ける人ならば出家在家、男女、年齢、身分、それらを無視して高座に登らせて法を聞くべきだと書いてますし、帰依仏法僧宝の巻には止観輔行伝弘決の、帝釈天が野干を高座に登らせて法を聞いた話を引いてます。

チベット圏では高座説法がフツーで、日本で如法にやってないのは日本の大部分の坊さんが在家の人と変わらない暮らししていて高座に上りづらいからなのかなとも思うのですが、仏教の伝統には神様が畜類を高座に据えて説法させた故実があるのだから遠慮しすぎだと思います。それに、普段さぼってる故に高座に登るのが気まずいからって、精進の方をそっちのけで高座の方を廃止するのは本末転倒。品質低下の元です。やばいことやってるのが記録に残らないように検査自体を止めようっていうのと似てませんか?(私は甘党だから不●家は好きですけど)。要はそのとき説法する人の、口から出る法を尊重するのであって、人を尊ぶのではないので。坊主の特権意識だとか言うのは完全に的外れ。

去年大阪で初めてチベット式の灌頂を受けたとき、始まる前に灌頂してくださる阿闍梨さまに向かって全員が五体投地をしました。阿闍梨さまが会場に入ってこられて、高座の後ろの釈尊とターラ菩薩のタンカに向かって五体投地を三度なさって、高座に登られ、パチンと指を弾かれたのを合図に受者全員が阿闍梨さまに三度礼拝。
 その前の解説によれば、仏教の礼拝は個人崇拝ではなくて、あくまでその人の中の法を尊んでいるのだとのこと。指を弾く所作(弾指tanji)をするのは、師と弟子、床に頭つけて礼拝する人と高いところに坐って礼拝受ける人の関係は指を弾く程度のきわめて一時的なもの、だからするほうもされるほうも慢心を捨てよう、ということだそうです。
 これは仏教に限らないことですが、姿勢とか立ち位置というのは、人の思考に気づかないうちに影響を与えるものだと思います。犬なんか位置関係で主従を認識しているらしいし、アポなし訪問販売は品物以前に胡散臭いものです。何事にもムードとシチュエーションが大事。
それに、説法を聞いててありがたく感じても、説いてる方が立っているとこっちが気まずくなってしまい、折角の感動が殺がれます。
 もし、急に習慣を変えて日本で高座説法がしづらいなら、チベットや昔の絵巻の様に高くてきらきらした高座ではなくて、ちょっとだけ、畳の厚さくらいの高さの説法用高座を作ればいいと思います。お経が終わったら、この高座に移って説法をする。少し場所や方向を転じれば、聞くほうも一度正座を崩せていいかも。どこかの仏具屋さん、商品化しませんか?売れたら山分け。うふふふ。

写真は去年3月の灌頂の終了後にお守りの赤い糸を頂いている所。灌頂中は阿闍梨さまの前にも綺麗に飾った机がありました。個人が写ってるので小さく公開。


従姉の結婚式で仙台に行ってました。
式の前日に着いたので、家族が来る午後までに松島観光。
10年前くらいに行ったことありましたが、それ以来。

松島の瑞巌寺は臨済宗妙心寺派。元は天台で慈覚大師の開山。
後に禅宗に転じ、伊達政宗からも保護されて、桃山風の方丈が建ってます。
ここは周りの岩に石窟がたくさん掘られてて、昔の僧坊の跡だとか。
日本で石窟寺院って珍しいですね。
セックツ


慈覚大師が五大明王をまつって国家鎮護を祈った、松島の五大堂。
風光明媚を絵に描いたようなところ。
まつしまうみ

3cb9.jpg

某所に寄って明日東京に戻ります。
そうそう、那智の滝の水を写経のために汲んでこようと思ったので、滝壺には踏み込めませんでしたが同じ源流と思われる青岸渡寺の水をペットボトルに汲んできました。早速是で墨を磨って書いてみるつもり。「とはずがたり」にも那智で般若経を写した記事が出てきますね。
この日は夙起したので朝食後まもなく宿を発って、宝殿と如意輪堂にお暇乞いをしてバスで新宮へ。1時間くらいかかります。途中で小栗判官蘇生の地、湯の峰温泉を通ります。今思うとここで下りてゆっくりしたほうが時間を有効に使えたんですが、仕方ない。新宮から本宮に行くバスが1時間あまり無くて、時間が空いてしまいました。新宮でバスを待つ間、徐福伝説の地、阿須賀神社、蓬莱山などを見物。京極夏彦の小説に出てくるあたりですね。「塗仏の宴」だったかな?たしかに新宮の町をぶらぶらしていたら、巨大な新興宗教?の寺院?が何種類かありました。京極さんはこういうところから着想したのか?と思うような。
阿須賀神社には徐福を祭る祠詩碑

があって、「祖元禅師の徐福祠に香を献ずる詩」碑あり。詩碑2

江戸の初期、明末に清から逃れて亡命して黄檗宗を伝えた隠元さんもここにきたことがあるようです。あるいは遠く寄すとあるから本人は来てないのかな?「老僧もまた秦を避けて来たる」とは同じ亡命者の感嘆でしょうか。祠の後に生えているのは、徐福が見つけた仙薬といわれる「天台烏薬」。京極作品でも出てきました。他にも駅の近くに徐福の墓が公園になっています。

本宮に向かうバスは、熊野川の流れに沿って進みます。熊野川はゆるやかに広がる白い明るい石の河原に暗緑色の流れがとても美しい川。神さまも好みそうな景色です。本宮には昼前につきました、バスを降りたら今朝一緒に滝を見に行った二人とバスが同じだったらしく、再会しました。明るくなったら那智の滝をもう一度見に行くと伺っていたので私の方がかなり早く那智を出たはずですが、本宮に着いたのはおんなじ頃。ちょっと損した気分。
本宮鳥居

本宮は阿弥陀如来を本地とする証誠殿syoujyoudenが主神。創建以来明治二十二年まで熊野川の中洲、大斎原ooyunoharaにいらっしゃったのに、明治の森林伐採で洪水に流され、今は山の上に残った社殿を移してお祭りされています。それはずっと前から知っていたのですが、いざ旧社殿の跡地に立ち、山上の荘厳な社殿よりもさらに大規模な形でお祭りされていたのが今は跡形も無いということを確認すると他人事ながらひどく落ち込んでしまいました。
後白河法皇、藤原定家さんらも裾を浸して渡った熊野川と、中州の社殿。神社の人も仰ってましたが、明治22年の水害は完全な人災だということです。あってはならない。

追体験のしたさに、旧社地大斎原から熊野川に下りる小徑を見つけて、河原に下りてみました。裾を浸して渡った往時にならい、手を流れに浸して禊に擬します。
禊

社殿のあった大斎原の森に向かって踏みしめる白い河原石は一足ごとに揺れます。ゴールに至る最後の歩みがぐらぐらと不安定であるというのは、意識の緊張を高めるのには非常に効果があるように感じました。
熊野川を背に大斎原を仰いで↓
おおゆのはらをのぞむ

熊野三山は、平地の新宮、(海から)山の那智、川の本宮と、それぞれ立地が異なっていたのです。
誰が工夫したというわけではないのでしょうが、非常によくできた巡礼コースです。
宿に荷物を置いて、昼過ぎには本宮大社から逆(京)方向の祓戸王子、三軒茶屋、伏拝王子へと3キロほど山道を歩いてみました。
伏拝王子は、谷間から旧殿地大斎原が見え、巡礼者がここから伏拝んだことから名を得たといいます。和泉式部が神さまと歌で応答したという伝説があり、和泉式部の供養塔もありました。なんか播磨の書写山といい熊野といい、私の行くところには和泉式部伝説があるような気がします。引かれてるんでしょうか。
伏拝王子から大斎原をのぞむ↓
伏拝眺め

祓戸王子には、ここからは本宮の境内であるため殺生禁断を示す石が立っていました。こうやって神領の動植物を守ってたんですね。
禁殺生穢悪
殺生禁断


本宮では本宮大社の経営する瑞鳳殿という宿坊に泊まりました。ここは宿坊研究会HPにも出てますが、素泊まり専門三千円。多分行事の時の宿泊施設を普段は宿坊として使ってるんだと思います。私の泊まった時は同宿なし。十二畳半の部屋に一人でした。精進料理が出てくるような宿坊とは違って、人により好き嫌いが分かれると思いますが、私には気軽でいいところです。広い建物に誰もいないし、夕方から雨が降って静まり返っていたのを幸いに、声を出して数巻を一気に読経してしまいました。熊野の神々が納受されたかどうかは別として、気分はすっかり数百年前の熊野詣。

熊野三山といえば古くから起請文の料紙に使われ、約束を破ると神罰覿面という牛王宝印を出しています。もちろん三山分そろえました。いまでもちゃんと版木で刷っているようです。

一人熊野詣はそんなところ。ちなみに最終日は白浜温泉で足の疲れを取り、南方熊楠の住んだ田辺の辺りを見ていました。神仏習合の聖地熊野。いいところです。
熊野に行ってきました。
26日早朝から新宮速玉大社に参詣、電車で那智まで行って、海辺の補陀洛山寺、三所権現社から那智の滝のある那智大社・青岸渡寺までの8キロの道のり、熊野古道をひたすら歩む。
kodou.jpg

熊野古道はこんな感じの山路もあり、里の中を通ることも車道沿いを行くこともあります。山道ですれ違う人は一組しかいなかったので、心ゆくまで巡礼気分を味わえました。
途中、2箇所ほど野菜、みかん、糠漬けの無人販売の棚があって、みかんがすごく美味しい。山道を一人で歩いてきて、このみかんと如意宝珠とどっちかあげるといわれたらうっかりみかん選んでしまいそうなくらい美味しいです。
那智山にのぼる最後、大門坂を過ぎたあたりはこんな感じの石段↓
sugi.jpg

ここまで来ると観光客も増え始めます。杉の巨木がお出迎え。

そして朱の鳥居をいくつかくぐると那智大社です。natigongen.jpg


明治維新をくぐり抜けて、熊野三山では今でも「権現」の額を掲げておわしますのがボウズとしては嬉しくて。しかも那智は宝殿の斎垣のすぐ隣に、青岸渡寺の本堂如意輪堂が立ってるんです。ああ、なんともうるわしき神と仏の相思相愛。梁塵秘抄に出てくる、後白河法皇が感動したという柴灯も、ここでは礼殿の前にちゃんと燃え続けています。

この日は青岸渡寺の宿坊尊勝院に投宿。なかなか風情のある、庭からの景色も良いところです。薬石の胡麻豆腐も美味しかった。ここの料理は完全な精進料理ではないようなので、今回は巡拝中の潔斎はゆるくしてました。紀州はまぐろ、かつおなど海産物の美味しいところだし、名物の秋刀魚寿司も食べたかったので。
梁塵秘抄その他、往時の熊野御幸の記録を見ると、後白河法皇は社頭で夜もすがら法華経や千手陀羅尼を読み、今様を歌って神にささげています。私もそれに倣って熊野三山巡拝の内に法華経一部を読ませてもらいました。とはいえフツーの格好で来たのであからさまに神前で読むのは憚られ、宿坊の部屋でひっそりと。那智では一二の巻。本宮では夜に残りの三四五六七、翌朝に八の巻。回りに出るところもなく、那智はどこに行くにも石段を昇り降りしなければならないので、夜は綺麗な星月をながめ、日記を書くほかは取り立ててすることもありませんし。
翌朝は5時からの青岸渡寺の朝のお勤めに参加。内陣、如意輪観音さんのお側で観音経その他を読みました。礼盤のすぐ後に坐らせていただいてお勤めしたのですが、終わった後青岸渡寺の簡単な説明と、お供えの大きなみかんを参詣者に2つずつ頂きました。ここでも如意輪観音さんから如意宝珠(笑)を頂ける幸せ。その日宿坊には同宿がもう一組で、奇しくも文学部の隣の国立の医療機関に勤めていらっしゃるという女性二人。昨夜散歩で挨拶していたので、お堂を退いてから声をおかけして3人でまだ暗い那智の滝を見に。taki.jpg

syokou.jpg


闇の中で轟々と響く滝の音も、熊野灘から昇る曙光も荘厳そのものです。
日の出の写真は部屋から。

つづく
| ホーム |