不捨室雑録

僧侶志望の大学生が綴る日々の記録。 趣味の陶芸や大好きな仏教について、 まあるい頭で考えたことを書きとめていきます。 古い記事はこちらhttp://blogs.yahoo.co.jp/haganbisyou

2008.08.29 00:27 | | トラックバック(-) | コメント(-) |
一時帰宅から合宿先に戻る時、駅から高校まで歩いて40分くらいだと言うので歩いたのですが、ずぼらな私はほとんど道順を確認せずに、新幹線の高架を目印に行けばいいや、という程度で向かってしまい、案の定高架が簡単には見つからずにぐるぐる遠回りをしました。

高架に近づいても、田畑が多いので見えてはいるのですが突っ切れない。結局延々遠回りし、冬晴れの寒い日にもかかわらずやや汗だくで到着。

途中お稲荷さんの社がありました。
縁起によると平安末の創建という古社。
まあ、寺社の縁起なんていうのは大抵古く言いたがるので話半分に聞くとしても、鳥居の様子や境内の地形(石段があって小高いところに本殿が建ってる。)はなかなか良い感じです。真っ赤な鳥居もこれくらい枯れるといいですね。それから額の周りに唐破風をつけるなど結構手が込んでいて、よく納まっています。

お稲荷さんです。本覚讃を誦して御法楽。
法楽というのは、法を聞く楽しみのこと。

日本仏教は神々と仲良く暮らしてきたのです。

神々は常人よりずっと優れた能力を持っている、
そのような神々だから仏教を見聞きすれば
必ずその良さがわかってお喜びになるはず、

一つにはこういう理由で、神様のいらっしゃるところで経典の一節(普通は般若心経)や仏名、経名をお唱えして、喜んでいただくのを法楽といいます。

日本仏教の神々との付き合い方はずっとこのとおりです。
明治維新の神仏分離、廃仏毀釈、神道政策で揺らいではいるものの、
いまでも大抵の法会の時にはその法会を聴聞にいらした(目には見えない)神々のために法楽の作法をして、あわせて法会の無事や仏教の興隆をお祈りします。法楽という言葉遣いは主に鎌倉以前からの旧仏教系で使うようですが、禅宗系でも鎮守神、伽藍神、土地神への祈願は日常的にしますから同じことです。

私は神社にお参りした時、急いでなくて通りかかった時は短い要文をごくごく微音にお唱えしてお祈りしてます。

神々とも仲のよい日本仏教。
いいですねえ。

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窯焚き合宿も無事済んで、今帰ってきたところです。
最終日の今日は雨が降ったので撤収にやや難儀しましたが、
事故もなく、温度もあっけないくらい順調に上がって万々歳。
後半戻ってから人数が増えても緊張感は保てていたと思うし。

今年は実質一番上の3年生だったからなのか、
後輩はじめ周りの人に、あれやってこれやってと
お願いすることはあっても
自分で動く部分はいつもより少なかったような気もします。
そんなものでしょうか。
ほんとはみっちり窯に付きっ切りでほかの人と親しく話し込んだり、
そういうのもしたかったんだけどね。
合宿は普段あんまり来ない人も来てたし。


体調はいつもの合宿の時よりかなり快調でした。
睡眠しっかりとったからかな、
それとも毎日一人で念誦する時間を取ったからか。
いつもは4日目くらいからいい加減だるくなってくるのですが、
それがなかった。
毎日薪運んだり結構動いてるし、
お酒もかなり飲んでたのですがほとんど腰痛とか疲れを感じなくて、
自分でも不思議でした。

窯出しは新年1月の13日ごろになりそうです。
うまく焚けた実感はあっても、窯から出すまでははらはら。

写真は100度越したくらいの窯の焚口の様子。
ほんとはもっと明るい黄色の焔です。



honjyou kama

昨日22日は冬至でしたね。
私は陶芸部の窖窯合宿に参加してるので埼玉の某高校で冬至にあったんですが、夕食メニューにしっかりかぼちゃが入ってました。

冬至には、禅宗では昔から上堂という正式の説法をする慣わしで、
語録を読んでいるとよく冬至上堂の法語が出てきます。
臨済宗では冬至の夜には修行僧が夜通しどんちゃん騒ぎをするとか。
いつからの習慣なんでしょう。

そういえば師走の25日は、仏教では 基督節 という一種の縁日です。
仏滅後500年くらいに西方に基督菩薩という聖者がいて、
隣人愛の慈悲の教えを説き、
最後は捨身行の一種として刑死して忍辱の姿を示し、
入滅の後には神通力を現して不滅の理を顕したといいます。
基督菩薩の教えは「新約聖書」という経典に収められています。
あれ?大正新修大蔵経で探してみたけど入ってないな。まあいいや。
基督節はのちに冬至祭と習合したらしいです。

なにはともあれ、今日から日が長くなるな、
というだけでなんだかほっとする日ではありますね。

ほかにもいろいろしなければいけないことがあるんだった。
図書館に本を返して、実家に帰るチケットとって、
年賀状に宛名書いて出して。

年賀状書くのは何年ぶりか。
たしか祖母の喪中の時以来返事しか書いてないから、5年ぶりだ。
これまでは友人宛が大半だったが、今年は春休みの旅行先とか、
陶芸関係とか、お世話になった人がたくさんいて、
お礼状代わりに年賀状を書くことにした。
年賀状はたくさん書くのは大変だけど、
そのままでは摩滅しがちな関係の再生にはちょうどいいかも。
筆まめを目指そう。

近頃、こういう年賀状とか手土産とかの存在理由が
しっくりわかるようになってきた。ちょっと大人に近づいたのかな。
22歳。まだまだご無沙汰、失礼ばっかりだけど。
20日に合宿入り、窯詰めを開始して昨日22日の4時に点火。
26日の朝頃まで焚く見通しです。
ちょっと一休みいれたいのと、
出かける時あわてていて忘れ物がいくつかあって一時帰宅。
(片道1時間かかるんですけど)

たとえば小刀など工具類。
薪の山を見ていたらこの間の円空仏みたいなことを
やってみたくなりました。
そうでなくても、陶芸を趣味にするくらいの人は
いつも良く切れる小刀の一本や二本持ち歩いてないといけませんね。
いい材料にいつ出会うかわかんないのだから、丸腰では困る。

それから急須と酒盃。
お茶好きなら一泊以上出かけるときは使いやすい急須を
持ち歩くべきです。
出先で間に合わせようとするとなかなかうまくいかなくて、
いつも旅に出るとこう思うのですが実行できてません。
酒盃も然り。美味しいお酒なら気に入ったのがいいね。
趣味人はそうありたい。

あとは、11月に渡しそびれたあるものとか。


合宿の方は、心配したようなことはなく程よい緊張感で
今日まで過ごしてます。
ただ、今夜から人数がすこし増えるから、緊張感を維持できるかな。

一番不安なところで一人抜け出すのは、やっぱりズルかったかも。
明日の昼には戻るつもりです。


陶芸部恒例の窖窯合宿。多分27日くらいまで。
昨年は終わってから四万温泉に行きました。
ほんとは系列高校の美術の授業の生徒さんの作品を焼かせてもらうバイトで、陶芸部にお給料が出ます。
大学からお給料もらってるサークルなんてうちくらいじゃない?

生徒さんのだけではまだ窯に空きがあるので、
部員の作品も便乗して入れてもらえます。
普段の部室灯油窯では大きいのとかそんなに入らないのですが、
窖窯なら入れ放題なのでみんなこぞって作ってます。
私も鉢を数十個。
ここの窯は冬だからか、焚き方か、
からっとした明るい感じに仕上げていて、私は結構気に入っています。


去年は一応私が窯の担当者だったのですが、
必要以上に人がいたせいか、
なんかブッ弛んでいて不愉快な思いをしたし、
いつも機会を下さる先生にも不愉快な思いをさせてしまったので
今年は引き締めていくようです。
あんまり人がいると、窯に作品を詰めているときなど、
みんなすることもないのでばらばらになってしまいます。
薪運んだりレンガで塞いだりと人手の欲しい時も
あることは確かですが。
OB,OGの参加もお断りしたみたいです。統制取れなくなるから。

それがいいとおもいます。
かまたきなんだし。

私は沈静し始めるとあんまり静かになりすぎてしまうので、
ほかの人がはしゃいでいるのを止める、というのは苦手です。
「あんたはそれでいいんだろうけど、
 こっちはそれじゃおもしろくないんだよ」
と言われるのが恐いのです。
いくじなし。といわれてもしかたありませんが。

今回はどうなることやら。
いやー、ほんと一日おきぐらいに忘年会だの打ち上げだのがあって、
ありがたいやらうれしいやらでどうしようもない今日このごろ。
今日は東哲専修3年の忘年会であった。
普段会っているのに話さない人もいるから、
こういう機会は必要である。幹事さんありがとう。

そういえば今日は22歳の誕生日でもあったのだ。
両親と弟からは朝早くからお祝いメールが来ていた。

ああ、22さい。昔のお祖師さま方なら、とっくに加行その他が済んで、活躍の礎を気づかれている頃。私は何をしているんだろう。
昨日も二日酔いがひどくて約束をすっぽかしてしまったし、ちっとも成長していないな。などと忸怩たる思いは少なからずあるものの、人に誕生日を祝ってもらうというのはやっぱりうれしい。

ここまで育ててくださった善、悪、無記のあらゆる存在に感謝。


木曜日はYBAhttp://wasebutsu.ld.infoseek.co.jp/main.htm
の例会と忘年会。
「形をきわめて心を伝える日本仏教」企画第一弾として
法衣について発表しました。

律衣、官衣、禅衣。隠遁と出世、王権と仏教、山野と都市、などなど、
いろんなのが絡んで日本仏教の法衣はできているので、
法衣を知ることは日本仏教のあり方を理解すること。
そんな風に考えてのこの企画。

とりあえずは袈裟は欲望を離れることの象徴であること、
三衣一鉢といって三種類の袈裟と食器一つが原始仏教以来の
ボウズの標準装備であることなどから始まって、
一例として日本仏教の曹洞宗の場合を。

顧問のイシハマ先生がいらしたので、
いきおいチベットの僧衣との僧衣相違点、共通点なんかの話も。

たとえば日本の臨済宗、浄土宗、唐招提寺の現行のお袈裟には環が付いてますが、あれは宋代の南山系の律の影響とされてます。
で、現代のチベットのお袈裟には環はないんですが、古いチベット式の仏画には環のあるお袈裟を着けた釈尊や羅漢が描かれてることがあって、あれは恐らく中国仏画の影響、あるいは中国で描かれたものなんじゃないか。とか。

日本に伝わるもっとも戒律どおりとされる褊衫・裙から、中国で付加された袖を切り取って、裙を巻きスカート形から筒型に戻せば、チベットの僧衣にすごく近くなるんじゃないか。とか。

私「仏教一般には在家者が袈裟をつけるのは禁止されてるけど、
  日本では、特に道元さんは出家在家ともに
  袈裟を受持するように勧めてて
  正法眼蔵にも袈裟功徳と伝衣の両巻があります」
先生「チベットでは出家戒を受けない人は袈裟を着けるのは
   タブーとされていて、
   具足戒ないのに袈裟つけるのはマズいんじゃないの?
   見分けつかなくなるし。」
私「えー、でも聖徳太子の孝養像は束帯の上に袈裟つけてますよ、
  そういえばチベットのパドマサンバヴァも白、青の着物の上に
  赤い袈裟つけてましたよね。」
先生「具足戒ない人が袈裟つけていい典拠ってなんなの?」
私「えーと、たしか道元さんは陀羅尼集経を引いてたような。
  あれってチベットの分類だと所作タントラですよね。」
とかいうオタクな会話。

あんまり進行しなかったので続きは来年に持ち越して資料の増強を図ります。

終わって高田馬場で忘年会。
イシハマ先生ごちそうさまでした(^人^)

うちのサークルは少数ですが、なかみは 仏教 という非常に濃ゆいことをやっているので、
なかなか他にない価値はあると思います。
ただ、毎年問題になるのは新入生が少ないこと。

宗教系ってだけで警戒して退いちゃうんでしょうね。
サークルとしてはどこかの宗派に所属しているわけではないし、
実に穏やかなサークルなのですが。

ちなみに謳い文句は
「伝統仏教に関わることなら京都からラサまで手広くカバー」
だそうです。ほんとかよ(ぇ

写真は部室に安置されている釈迦像。
OBで西村公朝先生のお弟子でもあるM氏の作。

いろいろあってなんか寝る気がしなかったので、
日付が変わるころまで作陶して、
帰ってからも夜通し机に向かってpcいじりつつ
朝まで臨書などしてしまいました。

平成元年の正倉院展と
「宇多天皇開創1100年記念 仁和寺の名宝」展の図録。
正倉院文書の、経典の貸し借りの文書とか、
唐代風の漢字を拾って臨書してました。
当時の実用書道みたいなもんで、
あんまり気張らずに書いているところ、
当時の人が習いつけていたであろう王羲之風の、日本人の書いた文字。

それから仁和寺の方は、弘法大師(空海さん)の「三十帖冊子」の
「摩訶吠室羅末那野提婆喝羅闍陀羅尼儀軌」。
まか べいしらまなや だいば あらじゃ、ってのは
多分、大毘沙門天王って意味ですね。
弘法大師の留学中の伝授ノートで、東寺、高野山、御室、
と紆余曲折を経て今に伝わってるものです。
ノートなので行書と草書が混じっていて、自然な筆使い。

唐、平安時代の書というのはあんまり滲んでませんね。
多分この時代の紙がそんなに滲まないような紙質だったか、
あるいは滲むのを嫌がったか。
現代人もにじみには慣れてませんから、
ここら辺の価値観は共通してるのかも。

そういえば弘法大師のお膝元、高野山のあたりには
高野紙という古くからの和紙がありますが、
これは柔らかく墨付きがよいわけではないながら、
肉厚で質の良い紙で高野のお坊さんが
経本に教科書にお次第にと愛用してきたものだそうです。
これって弘法大師がお使いになった紙を、
お弟子たちがそれに倣って作ってきたからだったりして。

三教指帰とか座右銘のような華やかな字を書かれる弘法大師が、
人に見せることをあんまり意識せずにお書きになった字。
長安の僧房の明かりの下で、恵果阿闍梨から借りて写した字。

手本は書く字より小さいくらいがいいなあ、
このまえ白黒反転して半紙六字に拡大した法帖買ったけど、
手本大きいのって書きづらいなあ。全体見えないし。

1200年前の弘法大師のを臨書できるっていいなあ。
今は写真で簡単に見ることができますけど、
昔は弘法大師の真蹟なんかほとんど絶対に臨書できなかったんですよね。
いまはありがたい時代だなあ。じゃりじゃり(-m-)(数珠を摺る音)
ちなみにこの図録、ブックオフで100えんでした。

なんて、いろいろと考えながら筆を運んでました。無言のあじわい。

ところで、最近大きい硯を手に入れたので
まめに墨磨って書いてたのですが、
今日は墨汁使ってました。
ちゃんとしたとこの買えばいいんですけど、
安いと思ってうっかり買うと墨汁が腐ってる時ありますよね。
輸入する時に腐っちゃうんでしょうけど。
膠は腐るとかなりいやなにおい。早く使い切ろ。

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先週金曜の夜、久しぶりに一夜籠もって作陶してました。
20日からの穴窯むけ作品。埼玉の本庄高校で生徒さんのを
焚くお手伝いを毎年させてもらってるのですが、その便乗です。

形はここんとこずっと穴窯に入れてる25センチくらいのお鉢。
次の日授業の合間に削ったんですが、
挽くとまでは勢いでできちゃいますけど、削るのは結構大変ですね。

それにしてもきちゃないぶしつだ。
今度大掃除するそうです。
今日は心配だった卒論の仮指導が無事済んだので、
午後はすこしくつろいでサークルの部室にいました。
入会希望者に作陶を教える約束もあったので。

久しぶりに会った人たちが、ダイエットのことについて、
4キロ痩せただの、食欲がなくなったら私じゃない気がするだのと話していらっしゃいました。

Yahooのブログにも前に書いてたのですが、
ダイエットなら断然五体投地ですよ。
気になるウエスト周り、太ももの内側をめいっぱい使うし。全身運動だし。
寝る前に二十遍もやれば、寝付きよくぐっすり眠れて、翌朝には効果が出てるはずです。
瞑想の前には必ず五体投地三遍と決まっているのは、
無駄じゃないんです。
軽く全身を動かすと、体が自動的に静まろうと(心拍数、呼吸数など?)
するのでより円滑に瞑想に入れる、ということらしいです。
私は詳しいことは知りませんが。
だから、たぶん、安眠にも効くよ。

私も実は、昼寝しちゃって寝付き悪い時なんかに寝る前に数を決めないでやっております。
普通はできない心拍のコントロール法。
階下に響くと迷惑だし、膝痛いのは嫌なので座布団使ってますが。
ただ、数によっては次の日内腿が軽い筋肉痛です。
でもこれはすぐに取れます


五体投地といえばチベットの巡礼なんかで見る、
全身を伸ばして地面に投げ出すのが有名ですが、
日本に伝来したのはもう少し動きが少ないやり方。
(チベットでも体を曲げたままの礼拝も五体投地というようです、
 この間の灌頂の時はそうでした。)
五輪倶屈、あるいは五輪着地といって、
全身の5つの関節(五輪)である両膝、両肘、額を地に着け、
耳の辺りで両手を仰向けて双足を戴く勢をします。
もっと詳しい説明はYブログの方に前に書いたので省略。
http://blogs.yahoo.co.jp/haganbisyou/15486170.html

ただ、コツを一つ増やすとしたら、指先まで意識を行き渡らせて隙のない礼拝をすることと、呼吸にあわせてすること、ですかね。

さて、例の人は私のブログを見つけられたかな。
ま、どうでもいいけど。
昨日の夜、今日は寒いから鍋が食べたいという陶芸部の人たちと
近所の韓国料理屋さんでプデチゲを食べたのですが、
そこの階段に来年2/2に行われる声明コンサートの
ポスターが貼ってありました。
5月に声明を聞かせていただいたN院のN先生も会員の、
真言宗豊山派迦陵頻伽声明研究会が出演されるそうです。
詳しい情報が入り次第追加しますが、是非聴きに行きたい。

考えてみれば、和歌山の高野山まで聴聞に行ったことはあっても、
コンサートホールで声明の公演を聴いたことってないんですよね。
今朝9時半集合で、がくがくぶるぶるの卒論仮指導。
まさか指導教授の希望がハネられるなんてことはないよなと思いつつも
やっぱり心配して初顔合わせ。
これから毎週土曜日に指導を受けつつ書いていくことになりそうです。
一応今のテーマは安然という平安時代の天台の坊さんが書いた、
『普通授菩薩戒広釈』という本について。

日本天台宗の菩薩戒というのは非常に特色のあるもので、
たとえば「持あって破なし」とか「受法あって捨法なし」という、
戒律にしてはちょっと極端とも言えるような主張があったりします。

先生が結構厳しい、というか、綿密な人なので、
こっちも気合入れて臨まないと。
Ren'ohさんのブログ
◆京都より・・・、気ままな遁世僧の今様つれづれ草◆
http://blogs.yahoo.co.jp/namoamidabutsu18/43430795.html
で紹介されているCD 「マンダラのきらめき」 
「天台声明と五台山念仏へのいざない」の二つを入手しました。
この間たまたま辞書を探しに入った大学近くの
仏教書に強い古本屋さんに2つ並んで置いてありました。
カバーや帯が焼けているせいかしりませんが、各千円。お買い得。

さっそく帰って聴いてみました。
念仏の方は、大原に伝わる引声阿弥陀経作法と声明例時。
Ren'ohさんのお勤めになる如法念仏は善導大師系だとうかがうので
五台山系の念仏とは少し違うのかもしれませんが、
極楽の音声を写したという例時作法は一字一字の揺らぎが
とても美しい旋律を作っていて、一日聞いていたくなりました。
阿弥陀経の本文一字一字に曲節が付いているのも、
最近法華経で読経の抑揚に関心をもってた自分には
すこぶる興味深いもの。
これくらいの速さなら経意も取れて、朗誦もできそうです。

マンダラのきらめきの方は、舞楽付きの合行曼荼羅供の公演を
略して収録したもの。
胎金のCDはそれぞれもってましたが、合行は始めて聴くし、
この2つはこの間遷化された大原の声明の大家が
解説を書いていらっしゃるので解説が丁寧。
道場荘厳についても詳しく載ってます。
舞楽つきで行う庭儀曼荼羅供はお堂の前に舞台を組んで、
そこで舞人が舞楽を奉納しつつ堂内では曼荼羅供の法要が進むようです。
チベットでも灌頂などで砂マンダラを作るときには
その土地の舞踊の奉納があるそうですが、同じ伝統なんですね。

ちなみに、この春高野山でクルト厳蔵師に聞いたところによると、
高野山では雅楽付きの声明はないそうです。
一説には、高野山は弘法大師が入定していらっしゃるから、
大師の禅定を妨げないためとか。
じゃあ東寺ほか諸山はどうだったんでしょう。

いやー、しかし (´-`).。oO(欲しいな)と思うと
すぐに出会うんだからツイてるなあ。




http://blogs.yahoo.co.jp/hm5771/24381054.html

今日紹介した大智禅師の詩を、教秀さんが書いてくださいました。
感激!

私も刺激されて、お返しに一篇書いてみました。
いやー、普段こんなことしてくださる方いないのでうれしいです。

 無情説法
無情説法すれば有情聴く   風 寒林を撹(はら)って葉 庭に満つ
墻壁 人無きも却って耳あり 燈籠露柱 且らく低声なれ
 大智禅師偈頌より。

なかなか一篇の詩を紙に収めるのって難しいですねえ。
有の字2つ出てきてるから書き振り変えればよかったなー。
今度からこの大きさで練習しよっと。

教秀さんありがとうございました。
香を焚いて独り坐す長松の下   風寒露を吹いて禅衣を湿す
有時定より起って双澗に下りて  瓶には五更の残月を汲んで帰る
ー大智禅師偈頌ー
(焚香独坐長松下 風吹寒露湿禅衣 
 有時定起下双澗 瓶汲五更残月帰)

このところ机に大智偈頌を置いています。
寒くなると味わい深くなるのは詩と焙じ茶。

daitigejyu

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