不捨室雑録

僧侶志望の大学生が綴る日々の記録。 趣味の陶芸や大好きな仏教について、 まあるい頭で考えたことを書きとめていきます。 古い記事はこちらhttp://blogs.yahoo.co.jp/haganbisyou

2008.08.29 00:34 | | トラックバック(-) | コメント(-) |
  〜実際の理地には一塵を受けず、
   仏の事門の中には一法を捨てず〜

不捨室という私の室号はもちろん自分でつけたものだ。
駆け出しの若僧が室号なんていうのを持ってるのは分不相応だけれど、
私が自分の住んでいる部屋を勝手にそう呼んでいる。
陶芸の器のサインも始めは実名の一字を使っていたけれど、最近はもっぱら「不」の一字。

昔の坊さんには法然房源空とか、武蔵房弁慶とか房号というのがあって、
これはもともとは僧房の名前らしい。
禅僧も雲谷庵雪舟とか、〜庵、〜軒、〜窟、〜室というふうに居室にちなんだ号を名乗る場合がある。


不捨、捨てない、というのはどういうことかというと、

物事を切り捨てて純粋にしようというのではなく、何もかも飲み込み、包み込んで受け入れて
自分をつくっていこうという思いから。
そういう思いはずいぶん前から漠然とあったのだけれど、あるとき沙石集を読んでいたら
  實際理地不受一塵 佛事門中不捨一法
  (実際の理地には一塵を受けず、仏の事門の中には一法を捨てず)
という句が出てきて、これに因んで室号にした。

すごく煮詰まった句なのでで簡単に説明するのは難しいけれど、
胎蔵界曼荼羅でいえば外金剛部の隅からすみまでひっくるめて
中台八葉ど真ん中のビルシャナ如来だよ。
という感じ。(説明になってないって?)

仏教で「不捨」というとよく出てくるのは、
  光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨
  (光明は遍く十方世界の仏を念ずる衆生を照らして摂取して捨てず)
というのだが、これは観無量寿経の真身観文というのに出てくる言葉で、
阿弥陀如来の慈悲の光はすべての衆生を救ってくれるよ、という意味。
うん、これも典拠としては悪くない。

でも実は大切なものを掃除と称して捨てられた腹いせの命名で、理由は後付けだったりする。


ほかにも良さそうな後付け典拠を知っていたらこっそり教えてください。
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