僧侶志望とはどういうことか。
仏教の第一義的には得度受戒した時点で僧侶である。
得度というのは形を僧侶にすること、具体的には髪を剃って頭を丸め、
着物を墨染の衣に着替え、お袈裟と托鉢用の鉄鉢と、
坐る時や礼拝用の敷物である座具(バスタオルくらいのサイズの縁付きの布)
を師僧から与えられる。
今はないが、昔は国家の許可を得て戸籍を抹消し、
僧侶の戸籍(僧籍)に編入されて証明書が出た。
要するに衣(袈裟)、食(托鉢)、住(座具)の外的生活要素をこれまでと変えるのである。
それから授戒というのは意識を僧侶にすることで、
師僧から僧侶としての釈尊以来の戒律を一つ一つ教えられ、
その一つ一つについて「まもることができますか?」「はい、守ります」という問答を
丁寧にも三度ずつ繰り返す。
これによって内的要素を僧侶のそれにするのである。
一般には僧侶といえば、ほとんどの人はいわゆる「住職」を思い浮かべるだろう。
住職というのは住持職の略、住持は安住護持の略だから、
寺に住って仏教を護持する役職ということになる。
得度はわずかに僧侶の仲間入りをしたというだけで、それだけでは住職にはなれない。
論じるまでもなく、護持するべき仏教がまだ具わっていないからである。
(お寺には仏像や経典があるが、それは楽器のようなもので弾きこなせなければ意味を成さない。
弾きこなすのはやはり僧侶であり有縁の檀家さんである)
私は仏教が好きだから、生家が寺だったという便宜を利用して得度をしたが、
しかしながら住職になるため、親のあとを継ぐために得度をしたわけではない。
その点で、世間の「僧侶=住職」という認識とは若干のずれがある。
これから、卒業してからも僧侶として生きていこうと漠然と思っているが、
自分ではあくまでも僧侶として生きるのであって、
生きるために僧侶をしようとは、今からは考えていない。
青臭く聞こえるだろうし自分でもそう思うが、
学生の意識としてはこれでいいのではないかと思っている。
私はそういう意味で、きわめて微妙な「僧侶志望」という言い方をしているのだ。
仏教の第一義的には得度受戒した時点で僧侶である。
得度というのは形を僧侶にすること、具体的には髪を剃って頭を丸め、
着物を墨染の衣に着替え、お袈裟と托鉢用の鉄鉢と、
坐る時や礼拝用の敷物である座具(バスタオルくらいのサイズの縁付きの布)
を師僧から与えられる。
今はないが、昔は国家の許可を得て戸籍を抹消し、
僧侶の戸籍(僧籍)に編入されて証明書が出た。
要するに衣(袈裟)、食(托鉢)、住(座具)の外的生活要素をこれまでと変えるのである。
それから授戒というのは意識を僧侶にすることで、
師僧から僧侶としての釈尊以来の戒律を一つ一つ教えられ、
その一つ一つについて「まもることができますか?」「はい、守ります」という問答を
丁寧にも三度ずつ繰り返す。
これによって内的要素を僧侶のそれにするのである。
一般には僧侶といえば、ほとんどの人はいわゆる「住職」を思い浮かべるだろう。
住職というのは住持職の略、住持は安住護持の略だから、
寺に住って仏教を護持する役職ということになる。
得度はわずかに僧侶の仲間入りをしたというだけで、それだけでは住職にはなれない。
論じるまでもなく、護持するべき仏教がまだ具わっていないからである。
(お寺には仏像や経典があるが、それは楽器のようなもので弾きこなせなければ意味を成さない。
弾きこなすのはやはり僧侶であり有縁の檀家さんである)
私は仏教が好きだから、生家が寺だったという便宜を利用して得度をしたが、
しかしながら住職になるため、親のあとを継ぐために得度をしたわけではない。
その点で、世間の「僧侶=住職」という認識とは若干のずれがある。
これから、卒業してからも僧侶として生きていこうと漠然と思っているが、
自分ではあくまでも僧侶として生きるのであって、
生きるために僧侶をしようとは、今からは考えていない。
青臭く聞こえるだろうし自分でもそう思うが、
学生の意識としてはこれでいいのではないかと思っている。
私はそういう意味で、きわめて微妙な「僧侶志望」という言い方をしているのだ。
私の趣味としては他に書道がある。
これももの心ついた時から興味はあったけれど、
小さい頃はそういう坊主臭いことは嫌いだったので、というか、
褒められるのにも貶されるのにもいちいち寺のことを出されるのが嫌で堪らなくて、
両親はずいぶん熱心に書道教室に通うよう薦めていたが、結局行かなかった。
それに、文字は言葉が記録されて読めさえすれば良いんだと考えていた。
文字には人柄があらわれるのだとかいう話を聞いても、
単なる古臭い修身主義だとしか思わなかった。
高校生くらいだろうか、たまたま榊莫山さんの本を見て、
自由で柔らかい感じが何となく気に入り、
また芸術新潮で石川九楊という書家が非常に理論的で新鮮な(そう感じた)
書道の連載をしていたので、そういうものに惹き付けられて、
うちにあった法帖をこそこそと部屋に持ち込んで臨書をするようになった。
一人で気に入った文字の臨書をやっていると、文字の見方も少しづつわかる様になってくる。
紙との無言の対話の楽しさを知った。
一人暮らしを初めてからも、住んでいるところが区立の図書館に近かったのと、
人と遊ぶには中途半端な暇が多かったので
(今思うと時間の使い方が今より下手だったのだろう。今も下手だが)
気に入った法帖を借りては臨書していた。
人に習っていたことがないので普通の人が思う書道ではないかもと思うけれど、
書くことはあいかわらず好きである。
これももの心ついた時から興味はあったけれど、
小さい頃はそういう坊主臭いことは嫌いだったので、というか、
褒められるのにも貶されるのにもいちいち寺のことを出されるのが嫌で堪らなくて、
両親はずいぶん熱心に書道教室に通うよう薦めていたが、結局行かなかった。
それに、文字は言葉が記録されて読めさえすれば良いんだと考えていた。
文字には人柄があらわれるのだとかいう話を聞いても、
単なる古臭い修身主義だとしか思わなかった。
高校生くらいだろうか、たまたま榊莫山さんの本を見て、
自由で柔らかい感じが何となく気に入り、
また芸術新潮で石川九楊という書家が非常に理論的で新鮮な(そう感じた)
書道の連載をしていたので、そういうものに惹き付けられて、
うちにあった法帖をこそこそと部屋に持ち込んで臨書をするようになった。
一人で気に入った文字の臨書をやっていると、文字の見方も少しづつわかる様になってくる。
紙との無言の対話の楽しさを知った。
一人暮らしを初めてからも、住んでいるところが区立の図書館に近かったのと、
人と遊ぶには中途半端な暇が多かったので
(今思うと時間の使い方が今より下手だったのだろう。今も下手だが)
気に入った法帖を借りては臨書していた。
人に習っていたことがないので普通の人が思う書道ではないかもと思うけれど、
書くことはあいかわらず好きである。
都内の大学の文学部に通う21歳。
北の方のとある寺の長男としてうまれる。2歳違いの弟と二人兄弟。
小さい頃は寺の子だといろいろ言われるので大きくなっても
絶対に住職になんかなるもんかと心に決めていたし、
寺に来た檀家さんに「ボクは大きくなったらお坊さんに、、、」
なんて言われるとむきになって否定していた。
檀家さんに悪意はないのだが、勝手に自分の将来を決めつけられて、子供としては良い気がしない。
お客さんが帰ってから、「僕はなんでこんなこと言われないといけないんだ」
と、茶碗を片付ける音を聞きながら一人で泣いたこともたびたびだった。
実家の寺は曾祖父の代から私と同じ姓の先祖が住職をしていて、
姉と妹に挟まれてただ一人の男子として生まれた私の父も「
寺に生まれたせいで無理矢理坊さんにされた」という思いがどこかにあったのか、
私には僧侶になれとか、跡を継げとかは微塵も口に出したことはなかった。
むしろ、ものを作る仕事をして欲しい、とか言っていたのをおぼえている。
仏像やお寺などのいわゆる仏教美術は嫌いでなくて、単純に「綺麗だな」と思っていた。
住職である父の書斎にはそういう本が仕事柄沢山あったので、盗み見ているうち、
だんだんと仏教の思想の方にも興味が出てきて、
結果的に(私はあくまで自分の意思でしたのだと思っている。人はどう言うかしらないが)
中学校に入る年に現住職である父を授業師として得度をした。
同じ宗派の友達や先輩の話を聴くと、得度を機会にお経を教えたり、
一緒に朝課(朝のお勤め)をしたりさせるお師匠さんもいるようなのだが、
私の師父はあいかわらず、自分からは何も教えてはくれなかった。
大学に入って実家を離れるまでの間、師寮寺(得度した寺をこう言う)で
私が正式の墨染のお袈裟を身に着けたのは、得度式の時と父の晋山式の時、祖母の法事の時、
その三回だけである。
18の年に、現役で都内の某大学に入学して一人暮らしを始めた。
寺に生まれて住職になろうという人は、その宗派、曹洞宗ならば駒沢大、
天台、浄土宗なら大正大、真言宗なら高野山大、浄土真宗ならば大谷大、竜谷大、
日蓮宗なら立正大と、宗派が設立した、仏教学部のある大学に入る人が多い。
けれども私は仏教学部ではなくて、一般の総合大学の文学部を選んだ。
偏差値の問題とか、文学部に東洋哲学の専攻があったからとか、
(仏教学部は男だけなんじゃないのかとか)色々な理由があった。
両親は特に反対もしないで許してくれた。
まあ父は駒沢に入りながらも仏教学部でなくて文学部に入ったという自分の経歴があるから
反対はしにくかっただろう。
母は、宗派の仏教学部に入っておけば人脈もできて良いよ、と助言してはくれたが、反対はしなかった。
いまは文学部の東洋哲学専修というところで仏教を中心に儒教や道教などについて勉強をしている。
今でも実家を継ぐために頭を丸めているという意識は毛頭ない。
文学とか美術も相変わらず好きだ。
北の方のとある寺の長男としてうまれる。2歳違いの弟と二人兄弟。
小さい頃は寺の子だといろいろ言われるので大きくなっても
絶対に住職になんかなるもんかと心に決めていたし、
寺に来た檀家さんに「ボクは大きくなったらお坊さんに、、、」
なんて言われるとむきになって否定していた。
檀家さんに悪意はないのだが、勝手に自分の将来を決めつけられて、子供としては良い気がしない。
お客さんが帰ってから、「僕はなんでこんなこと言われないといけないんだ」
と、茶碗を片付ける音を聞きながら一人で泣いたこともたびたびだった。
実家の寺は曾祖父の代から私と同じ姓の先祖が住職をしていて、
姉と妹に挟まれてただ一人の男子として生まれた私の父も「
寺に生まれたせいで無理矢理坊さんにされた」という思いがどこかにあったのか、
私には僧侶になれとか、跡を継げとかは微塵も口に出したことはなかった。
むしろ、ものを作る仕事をして欲しい、とか言っていたのをおぼえている。
仏像やお寺などのいわゆる仏教美術は嫌いでなくて、単純に「綺麗だな」と思っていた。
住職である父の書斎にはそういう本が仕事柄沢山あったので、盗み見ているうち、
だんだんと仏教の思想の方にも興味が出てきて、
結果的に(私はあくまで自分の意思でしたのだと思っている。人はどう言うかしらないが)
中学校に入る年に現住職である父を授業師として得度をした。
同じ宗派の友達や先輩の話を聴くと、得度を機会にお経を教えたり、
一緒に朝課(朝のお勤め)をしたりさせるお師匠さんもいるようなのだが、
私の師父はあいかわらず、自分からは何も教えてはくれなかった。
大学に入って実家を離れるまでの間、師寮寺(得度した寺をこう言う)で
私が正式の墨染のお袈裟を身に着けたのは、得度式の時と父の晋山式の時、祖母の法事の時、
その三回だけである。
18の年に、現役で都内の某大学に入学して一人暮らしを始めた。
寺に生まれて住職になろうという人は、その宗派、曹洞宗ならば駒沢大、
天台、浄土宗なら大正大、真言宗なら高野山大、浄土真宗ならば大谷大、竜谷大、
日蓮宗なら立正大と、宗派が設立した、仏教学部のある大学に入る人が多い。
けれども私は仏教学部ではなくて、一般の総合大学の文学部を選んだ。
偏差値の問題とか、文学部に東洋哲学の専攻があったからとか、
(仏教学部は男だけなんじゃないのかとか)色々な理由があった。
両親は特に反対もしないで許してくれた。
まあ父は駒沢に入りながらも仏教学部でなくて文学部に入ったという自分の経歴があるから
反対はしにくかっただろう。
母は、宗派の仏教学部に入っておけば人脈もできて良いよ、と助言してはくれたが、反対はしなかった。
いまは文学部の東洋哲学専修というところで仏教を中心に儒教や道教などについて勉強をしている。
今でも実家を継ぐために頭を丸めているという意識は毛頭ない。
文学とか美術も相変わらず好きだ。
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