不捨室雑録

僧侶志望の大学生が綴る日々の記録。 趣味の陶芸や大好きな仏教について、 まあるい頭で考えたことを書きとめていきます。 古い記事はこちらhttp://blogs.yahoo.co.jp/haganbisyou

2008.08.29 00:30 | | トラックバック(-) | コメント(-) |
以前にも紹介しました(http://blogs.yahoo.co.jp/haganbisyou/30731481.html)私の一番大好きな仏画、普賢菩薩像が東京国立博物館の国宝室で公開中。http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=D01&processId=01&colid=A1

昨日はほんとは静嘉堂文庫の青磁を見に行こうと思っていたのだけど、いろいろ探しているうちにこっちを見つけたので行き先変更して見てきました。昨日が初日だったみたい。

このお像、大好きなので自分の部屋の経案の前にもA4くらいに縮小したカラー写真があるんですが、本物を見てみるとやっぱり大きい。
象に騎っていて、上には華蓋と散華が描かれているので縦に長く、背景の紫がかった暗い色から白象と白い身相とが浮き出ているように見えます。
法華経に
  法華経を受持するひとがもし坐してこの経を思惟すれば、
  そのときにわたし(普賢菩薩)はまた白象王に乗って
  その人の前に現れよう。(中略)
  六本の牙の白象に乗って、取り囲む無量の菩薩と、
  一切衆生が見たいと思うような姿で、その人の前に現じて、
  ために法を説いて示し、教え、利益を得させ、喜ばせよう。
とあるのに忠実に書かれています。おそらく薄暗い堂内ならもっと浮かび上がって見えたでしょう。

がーにーじーじょうろくげーびゃくぞうおう 
よーだいぼーさーしゅー くーけいごーしょーにーじーげんしん 
くーようしゅーごーあんにーごーしん
(我爾時。乗六牙白象王。與大菩薩衆。倶詣其所。而自現身。供養守護。安慰其心。)
がーとうじょうろくげーびゃくぞう
むーりょうぼーさーにーじーいーにょう 
げんごーにんぜんにーいーせっぽうじーきょうりーきー
(我當乗六牙白象。與無量菩薩。而自圍遶。以一切衆生。所憙見身。現其人前。而爲説法。示教利喜。)
誰もいなかったらたぶん口ずさんでしまうであろう(笑)該当箇所。

本当にいい仏画です。ますます好きになっちゃいました。
細かく見てみると背景など結構痛んでもいますね。
仏身がちゃんと残ってるのは修理してるんだろうな。

3日で毘沙門天さんの縁日だったので行きは天王寺におまいりして、
そこから歩きました。木の多いあたりは直射もなくて涼しい。
もと東叡山一山だったあたりは3日に縁日が集中してますね。
元三大師堂、護国院の大黒さん、天王寺の毘沙門天さん、みんな3日です。

もう一度学生やるならあのあたりに住みたいな。
もう二度と一人暮らしはしたくないけど。さびしいから。

和本の装丁についての本を数冊借りた内、

『古典籍の装幀と造本』

は、これはかなり参考になる本です。
袋綴じ、巻物、折本、帙などの作り方が装丁のテクニックをここまで公開していいのかなというくらい実に懇切丁寧に書かれてます。料理本のノリです。

他にもいろいろ読んでいたら、本の虫(人じゃなく虫のほう)についても書いてあって、この間買ってまだ開いていない本が心配になったので、開いてみました。
ああ、箱の中に隔離してて正解だった。いたんです。虫が。虫食い進行中。

貴重書が虫に食われることを蠧魚(とぎょ)の災いなんて言いますが、蠧魚こと紙魚(しみ)はそんなに害が無くて、実際に和本を食い荒らすのはシバンムシという虫の幼虫で、2~3ミリくらいの蛆。こいつが本の中にトンネルを掘り進んで、糞や分泌物でページがくっ付く。

折本経本のくっ付いたページを一枚一枚開いていくと、虫の糞で机がざらざらに。そのあいだからぽろぽろと零れ落ちる、2ミリほどの勾玉の形をしたワーム。
うわー。私は虫が苦手ですが、なかでもワームは大きらい。慈念衆生猶如赤子と言葉では憶えているものの、、、。机の上にぽとりと虫が落ちるたびに、両腕に鳥肌が立ち、全身が引き攣ります。

幸いにというか、不幸にもと言うべきでしょうか、シバンムシは紙の中でしか生きられず、空気に晒されると1分ほどで死んでしまい、この手でつぶす必要はありません。10数冊で20匹ほどが、机の上で息絶えました。(写真あるけど見たくないだろうから載せません)
電子レンジで殺虫できるとのことですが、経典読むために虫殺すってのもどうかなと思うので止めました。本棚に移して伝染すると困るのでこの本は箱に入れて保管することにします。

表紙が幾分厚く、中に虫がいたら再発しそうなので、早めに修理することにしましょう。

先日入手した梵網経の本の修理をしました。
延享2年(1745)11月9日の刊記があります。
最初の皇風永扇、帝道遐昌、仏日増輝、法輪常転の願文と口絵の華厳の釈迦、文殊、弥勒図、巻末の韋駄天図など、明本(?)の体裁をよく写していますが、本文には訓点がついています。

入手した時には写真のように
●継ぎ目と題簽の糊はがれ
●表紙が薄く弱っていて手に持つと撓んでしまう
●本紙始めの数丁の折り目が崩れていて口絵が痛んでいる
●虫穴が数箇所
の状態であったので、表紙の芯を厚めのボール紙に換え、本紙を継ぎ直し、はじめの一枚を単独で裏打ちして元通り組み立てました。

和本の修理って好きです。こんなこと好む酔狂は現代にはあまりいないかもしれないけど、恐らく少し前の読書する人は必ずしてたことです。和本って折本にしても線装本にしても脆弱なものですけど、その分修理が簡単で、素人でもよほど不器用でなければ難なくできます。貴重書は怖いからしませんけど。
たしか佐佐木幸綱に、手に入れた古書を修理する喜びを詠んだ歌があった気がするのですが、悲しいかな一句も思い出せません。(だれか知りませんか?)

この折本は、本紙が厚手の画仙紙のような薄い紙でした。普通経典の折本は厚手の折り曲げに強い紙を使うのですが、これは携帯用に薄く作ってあるのでしょうか。薄紙のゆえに折り目は少し崩れ一部に皺もあって、ほんとは全部裏打ちして折り目が切れないようにしたいのですが、折本は綴本と違って全体を裏打ちすると紙が伸縮し折り目が合わなくなるのでやりにくいのです。最初の一紙に止めました。
それから表紙の緑色で唐花が刷ってある雲母引きの紙も、四周が擦り切れているので新しい紙と交換してしまえば新品同様になりますが、原装の意匠もなんかかわいい文様なので残すことにしました。こういうところは修理するたびにどうしようかちょっと悩みます。帙を作って内側(鏡)に貼り付けて残そうかとも思いますが、そうすると結局余分なところを切らないといけないし。表表紙はだいぶ煤けて裏表紙と違う色になってましたが、作業するうちにきれいになりました。
裏打ちの板にはテレビ台の扉のガラス板を外して代用しました。

そういえば、知り合いの友人が有名な表具師に弟子入りしたという話を聞きました。そういう特殊技能はこれからきっと役に立つことでしょう。

本職の人がこれ読んだら怒られるかも。下手な素人修理は本が傷むって。私にもし無尽の財力とか人脈があれば、本職に頼んで痛んでる古書の修理とか古書籍の復刻とかやってみたい、そうすればいい職人さんの需要を生むことにもなるけど、私には時間もカネもないし、復刻経典を大量生産しても売れるあてはないし。だいたい今の大多数の坊主は昔と違って修練不足でカナなしの経は読めないし。(これでは坊主の品質が回復する前に古書が朽ちてしまう。(苦笑))

とりあえず自分のそばに来てくれた本たちはほそぼそながらかわいがっています。だからかわいい和装の仏教書たちよ、私のところにいらっしゃい。
鳳源寺版梵網経修理前

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