不捨室雑録

僧侶志望の大学生が綴る日々の記録。 趣味の陶芸や大好きな仏教について、 まあるい頭で考えたことを書きとめていきます。 古い記事はこちらhttp://blogs.yahoo.co.jp/haganbisyou

2008.08.29 00:35 | | トラックバック(-) | コメント(-) |
昼休み、近所の庭園にて。
かきつはた

某屏風そのまんまですね。
いいお天気で気持ちよかった。

国立博物館に特集陳列 拓本の世界 槐安居(かいあんきょ)中国碑帖コレクション
を見に行ってきました。

王羲之、王献之の小楷の拓本とか、拓本そのものももちろんよかったんですが、装丁の余白に押された鑑蔵印や題跋、書入れもすごくよかった。
篆刻は、私が好む「ちっちゃくてみっしり」のど真ん中で、繊細な朱色が紙から浮き出すように押されていて、字体や枠にも意匠が凝らされてとっても眼福。
拓本は有名なものは影印が手に入るのですが、題跋や鑑蔵印は白黒印刷でははっきりしないし、ほとんど省略されてしまって見ることができない。細楷の書き入れも自分で細楷書くときの手本にしたいので持ち帰りたかったんですが、あれって写真撮影禁止のマークがついてなければ撮っていいんでしょうかね。こんど訊いてみましょう。
それと、単眼鏡が欲しい。

何についていた跋か忘れましたが、これはいいなと思った細楷は何箇所か出る左払いの線がとくに綺麗で見所になってました。「観」という字の書きぶりがとても私好みでした。旧中国の知識人は科挙対策に細楷を死ぬほど習うんだそうですが、職人芸かってくらい冴えてる。私なんてへぼなので最初はわりあいかっちりしてても2行目くらいにはちっとも楷書らしくなくなってしまいますが、首尾一貫して活字のようになおかつ味わいある楷書を書くなんて、さすがは漢字の国。いまの日本のようにひらがなと混ぜ書きにしていたらかっちりした細楷は身に付かないんじゃないでしょうかね。だから昔の日本の男性知識人は平仮名じゃなく、かっちりを維持できるカタカナを使ったんだな、ってことは実感としてわかります。
弘法大師のように漢字の書きぶりに意味を内蔵させるような文字のデザインのしかたもおそらく「かな」を日常に使わないからできることで、表意文字の思考と表音文字の思考は根本的に違うんです。きっと。
ただ、弘法大師の場合は梵字という非日常の表音文字体系も使いこなしていた点、一筋縄では行きませんが、密教の文脈で捉えた場合、梵字は表意文字的な表音文字、頭文字のような扱いですから、表意でも表音でもない第3の文字体系かな。そういうのみんなわかっててやってるんだからやっぱりあの人はすごいとおもいますよ。
天性の才能を、仏教由来の禅定の力によって掘り下げて、再構築するとああいうアーティストが生まれるんですね。


ダビンチ展で混んでたのと時間が無かったので東洋館と日本館の仏像の辺りだけ見て帰ってきてしまいました。ふがいなし。
そうそう、仏教美術の辺りに、どこの寺の所蔵かわかりませんが、伝法灌頂に使う道具類、明鏡、玉幡、払子、金箆、法輪、阿闍梨天蓋、戒体箱その他一式が出ていましたよ。この前高野山の灌頂で見たもの(玉幡、戒体箱など)もいくつかあったので、おお、という感じ。
たぶん季節に合わせて展示してるんだと思いますが。

私はデジカメ持ってったのに
あんまり写真撮れずに帰ってきてしまったんですが、
幸いにも先輩が送ってくれました(^人^)
あおぞらがとーっても綺麗に写ってるので、
やっぱり自分で撮ってこなくて正解だったかななんて(ぇ

本福寺の写真はこちらこちらからもどうぞ

本福寺本堂外観ホンプクジ


僅かに楕円のお堂、屋上が蓮池で、中央に階段があり、西側半分のなかにさらに円形朱塗りの本堂と四角い内外陣が納まってます。って言葉で説明するのは至難ですね。さらにこれをゼロから思いつくのはもはや、、、。
すいれん

屋上(しかも入り口)には睡蓮や大賀蓮などが植えられていて、夏には大きな花が咲くそうです。私たちが行った時には睡蓮が咲いてました。

わるいこ

本堂の入り口はこんな感じ(※よい子は柵をくぐってはいけません!)
両側にかわいらしい紅色の睡蓮がポツポツと咲いてますね。



こっちはちがうとこ
トト塔


先日筍のれしぴを検索したら偶然見つけたhonyaというサイトの
「たべぶぎょうのもうそう」がめっちゃおもろい。

思わず涎が出る(^q^)ジュル 話あり、異国情緒あふれる食の話あり。
おもしろいので一気に読みきってしまいそうなのですが、
結構続いてて量が多いので毎日ちょっとづつ読んでます。
みんなも是非読んでみて。
五月の連休は、前に書いた陶芸のOB、OGたちに誘われて、高野山に行くことにしました。やったー。胎蔵の結縁灌頂を受けます。結縁灌頂は誰でも受けられるものですが、私の場合、頭はボウズですが黙っていても結縁の機会は巡ってきませんので、絶えずこうやって仏さんとの繋がりを確認してないといけません。宗派とか細かいことに拘ってる場合じゃない。私は怠け者なので、さぼってるうちに時間が過ぎて、折角作った繋がりを擦り切らしてしまうことがあります。今度も用心せねば。宿坊とか行きのチケットは先輩が手配してくれました。感謝。
帰ってくる4,5日には今年は護国寺でも灌頂(チベット式)があるそうなので入壇したいんですが、予定を立てるのにぐずっているうちに予約が締め切られてて、当日受付に賭けるしかないみたいです。またしても後手。あー。それでもどうにかして連休は灌頂づくめにして、奮い立たせないと。


さて、4月も尽きかけ、やや気合入れて卒論の本を読み漁り、たまには授業に出て(週真ん中に3日1限演習が続いて気が抜けません)、バイトもちょくちょく、気晴らしに陶芸も、という日々です。多分大学最後の今年はこんな一年になるのではと。周りは就活とか試験勉強してるので、楽なほうなんでしょうね。サークルは普通は3年で追われるのが多いみたいですね。うち(陶芸)は追い出しが非常に弱い(一往追いコンはします)ので、OBOGと現役の間にほとんど切れ目がない。気楽です。そんなわけなんで、たまには陶芸の写真もアップしますよ。4年なのにのんきなものだ、と笑ってくださればよい。

yoko


なか


粉引片口です。李朝の耳杯みたいにアクセントに鰭つけてみました。
化粧土は少し良くなったけど釉薬がもっと軽い青になるつもりだったの。。。に暗緑色になってしまった。手を抜かずにあく抜きやら篩やらしないときめ細かいもんはできないということですね。夜になってから撮ると写真も冴えません。後で差し替えよ。
日曜日、100日ぶりくらいに神泉の山に行きました。冬の寒い間足が遠のいてたんですね。春の山は山吹が綺麗に咲いて、黄緑色でした。

P4220295.jpg


今日は窯の運営側として、他の団体と共有してる設備の保全、運営のための話し合い。
私は会議のためだけに行ったのでほとんど何もしてないのに、山で採れた肉厚のしいたけ一袋と、会員のお宅で採れた太い筍3本を頂いてきちゃいました。

いま、筍をあく抜きしつつこれを書いてます。こんなにあると一度では食べ切れませんね。しいたけは焼いて、筍はワカメと煮よう。筍の根本の固いところは擂りおろして揚げると美味しいと本で読んだけど、揚げ物は面倒だからいいや、でもお好み焼きに入れたりするのはもったいないかな。そんなことを考えているとあっちで鍋が噴きこぼれ、あやうく台所があく抜きされるところでした。

筍はわが大好物で、以前、蘇東坡じゃないけど、私は筍が年中生えてきたら、肉なんて見向きもしないね、と人に言ったら、このパリサイ人めと言われました。でも、気持ちはわかってください。残念ながら21世紀のこんにちでも美味しい筍は春しか生えてこず、したがって私も角煮をよろこんでぱくつく有様です。彼と一緒ですね、文章がかけないとこ以外は。


入木道とはひらたくいえば書道のこと。日本では「書道」よりこっちの言い方のほうが古いらしいです。お公家さんの間で伝えられたいわゆる流儀書道。世尊寺流とか京極流とか、日本史で習いましたよね。『夜鶴庭訓抄』、『才葉抄』、『入木抄』なんていうその道の秘伝書があって、群書類従に入ってます。

今本屋で売っている書道参考書と違うのは、執筆法とか練習の仕方、手本の選び方などのほかに、名筆家である弘法大師、小野道風などの説話と、御所でなんか書けといわれた時にどうするかという故実が盛り込まれている点。
ここら辺は今の書道とも、江戸時代なんかの書家の書とも全然違って、有職故実の香りが漂ってきますね。執筆法に五大五行を配当した口伝なんていうのも。

入木道とは違いますけど、現代中国の書道教則本もなかなか面白い。たとえば手本の解説に「逆筆で筆を入れて、筆の先端を引っ掛けたまま筆巻を進行方向の逆に倒して送筆し、次の画にむけて終筆する」という事細かな説明がされていたり、「中指、薬指、親指で筆を持ち、人差し指は軽く伸ばし気味にして添え、柔らかく蓮華の蕾の形に筆を執る」とか、なんか詩的です。(この説明は確かにわかりやすいなと思って、私は大きい字、篆・隷書を書くときは採用しています)

さて、私が今机の上に群書類従を借りてきているのは、昔読んだ入木道伝書のなかに、磨った後の墨を硯箱の向こう側隅に斜めに置くと書かれていたような気がするんだけど、右隅だったか左隅だったか、というのを調べるためです。

見つからないよー ヽ(`Д´)ノ


今朝は早速窯出しをして、その足でこの間10月の末に参加した雑司が谷の手創り市に。当日でも場所取れるか心配だったけど、寒い内は空いてますね。
窯出しは、還元がきっちりで焼きあがりは申し分ないのだけれど、今回初めて目土を入れたのが裏目に出て、よく焼けたのにくっ付いて取れないのが数点、愕然。ひとのまで犠牲にした。しかも、目土のざらざらがついているというのはやはり現代には受け入れがたいのか売れ行きもいまいち。片口って人気のある種類なんですけどね。残念。冒険、実験する時は安全策も必ず用意しておかないといけないという苦い経験。
寒いし強風なんで早めに撤収しました。今回から越前和紙の名刺を置いてみました。他の作者さんたちとも少し話せました。

帰宅したらオークションで落とした版本が届いてました。師寮寺に法華経2冊本の下巻だけあるのがあって、上が欠けてて、どうにか揃わないかなと思ってたらそれらしいのが丁度下巻だけ出ていたのです。こういうのは安い。1000円しないで競合もなし。あとは梵網経、こないだのは臨済宗系で江戸時代の、今度のは曹洞宗の江戸時代の大学者である面山瑞方という人が出版したのの、明治版。値段は文庫本一冊くらい。なんかこういうのが二束三文って嬉しいんだか悲しいんだか。

普通の古書店さんが出品していたのだけど、専門外だから扱いかねたのか、法華経の六の巻の端本をおまけにつけてくれました。表紙痛み、のりは剥れてたけどちゃんとした完本でもちろん和紙木版。うれしいね。
かたくち

うえ

よこ


最近机を黒いのに換えたので、塵芥が目立って、前より頻繁に掃除しています。明窓浄机も近いか。

明日夜から28日まで熊野に出かけます。行きは勝浦行きのバスで。
熊野の那智は南方補陀洛(ふだらく)浄土の観音霊場、本宮証誠殿は本地は阿弥陀さま。蓮華部の諸尊がいらっしゃるところです。荷物に梁塵秘抄を忍ばせて行きます。ところで私の姓は繁殖力が強いのか全国に散らばってますが、ルーツは熊野だとか読んだことがあります。それから少し前に高野山吉野熊野が世界遺産に指定されたときに東京でも展覧会があったので、世田谷に見に行きました。それくらいしか知りません、これからどこに行くか決めますが、楽しみ。

あとは、3月に四国に行こうかと思ってます。
この間実家に帰ったときに、来年から使う行脚セット(法衣、手甲脚絆、鉄鉢その他もろもろ)を、早めに着慣れておきたいからと法衣屋さんに注文してきたので、今度従姉の結婚式のついでに実家に寄るときには届いてるかも。そしたら髪剃って雲水姿でちょっとだけ四国遍路しようかななんて企んでます。
片口待機中

片口くんたち

昨日22日の夕方5時半から、久しぶりに灯油の窯焚いてました。正午ごろに山から帰り着いたばかりで釉薬掛け、窯詰めと、遊びつかれてたのでうとうとしつつ還元。窯詰めとかほんと久しぶりで、なんか妙な感じでした。
写真の片口、少し前に大量に挽いてみた物です。
実は口を付ける片口は初めてでした。どうしていいものやら。明朝窯出しです。たまにこういうのやるといい気分転換ですね。今年も片足が泥から抜けそうにありません。
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窖窯のある山に久しぶりに行ってきました。
Kさんの運転で5人でわいわい。こういうのもいいですね。感謝(^人^)
山のある神泉村は梅が満開でした。
梅は色もいいけど香りを愛でるもの。やはり空気が澄んだところがとくにいい。疎影横斜水清浅 暗香浮動月黄昏〜♪なんて口遊みつつ朝の散歩を堪能。2泊して薪割ったりいろいろ。

備忘、正法眼蔵随聞記に曰く
  夜話に云く、唐の太宗の時、魏徴奏して云く、土民帝を謗ずることありと。帝云く、寡人仁ありて人に謗ぜられば愁とすべからず。仁無くして人に讃ぜられば是を愁うべしと。俗猶ほかくの如し。僧は最も此の心あるべし。慈悲あり道心ありて愚痴人に誹謗せられんは苦しかるべからず、無道心にして人に有道と思われん、是をよくよくつつしむべし。