13日に卒論提出して肩の荷が下りました。
安然の円戒―『普通授菩薩戒広釈』を中心に ってタイトル。
題は大きくナカミは狭い(笑)
デキるひとに言わせれば、なんと大げさな、
と言うかもしれないけど、まともな文章を書くのが
そもそも初めてだった私には大事業でした。
夏の終わりに出した序を最後の編集のときに読んだら、
あんまりに悪文で笑えました。
ってことは、ちょっとはカシコくなったんだ。
卒論指導の度にびしびし文章を直してもらうってのは、
毎回冷汗をかいたけど、やっぱり貴重なこと。
パソコンの辞書にも随分仏教語彙が増えました。
久しぶりに飲むお酒があんまり美味しいので、
打ち上げを何度か重ねました。
たぶん来年以降数年を飲んだのではないかと。
だから、来年からちゃんと断酒肉で修行に励むよ(笑)
打ち上げに付き合っていただいた皆様。
ありがとうございました(^人^)
安然の円戒―『普通授菩薩戒広釈』を中心に ってタイトル。
題は大きくナカミは狭い(笑)
デキるひとに言わせれば、なんと大げさな、
と言うかもしれないけど、まともな文章を書くのが
そもそも初めてだった私には大事業でした。
夏の終わりに出した序を最後の編集のときに読んだら、
あんまりに悪文で笑えました。
ってことは、ちょっとはカシコくなったんだ。
卒論指導の度にびしびし文章を直してもらうってのは、
毎回冷汗をかいたけど、やっぱり貴重なこと。
パソコンの辞書にも随分仏教語彙が増えました。
久しぶりに飲むお酒があんまり美味しいので、
打ち上げを何度か重ねました。
たぶん来年以降数年を飲んだのではないかと。
だから、来年からちゃんと断酒肉で修行に励むよ(笑)
打ち上げに付き合っていただいた皆様。
ありがとうございました(^人^)
ミャンマー、本当に憂慮すべき事態になっています。
僧侶も加わったデモということで注目していました。
まさか武力制圧は、ないだろうな、
それやったら取り返しつかないもんな。
と楽観していたら僧侶にも発砲、拘束が及んだとのこと。
多くの人がいうように、こういうことをしてしまう政府というのは
本当に末期症状なのでしょう。
私に直接できることはすくないのですが、
それでも注目しつづけることは大切だと感じたので遅ればせながら
以下に全ビルマ青年僧侶連盟からのメッセージを転載しておきます。
以下転載
日本国内のすべての僧侶と皆さんへのお願い
アシン・ケマサラ
全ビルマ青年僧侶連盟(ABYMU)議長
2007年9月18日
日本に住むすべての僧侶と、信仰心の厚い在家信者の皆さんに対し、以下の通り緊急のお願いを申し上げたい。
ビルマ国内情勢についてはインターネットやマスコミなどを通じて多くの情報が流れているところですが、よりよく理解していただくためにいくつか補足をさせていただきます。
ビルマ軍事政権は、1988年の民主化運動の後、国内に民主主義を実現するという約束を反故にし、軍事独裁政治を続けています。軍政と、僧侶や学生、ビルマ国民との争いは絶えることはありません。
法を無視する独裁政権により、今のビルマは、政治的に不安定で、内戦を抱え、経済発展が遅滞し、生活水準は低く、医療や保健、教育は劣悪な状況に陥っています。
3百万人を超える人々が隣国に逃れざるをえない状況が存在しています。
民主主義を求めて声を上げた人々の多くが投獄されています。
こうした抑圧的な状況下で、ビルマ国内の学生と国民の間で、軍政に反対する動きが2007年8月第1週から始まっています。
それまで教学に励んでいた多くの僧侶たちが、人々の苦しい生活を理解し、支持を表明して、抗議行動に参加しています。
ビルマ全土には約40万の僧侶がいます。したがって僧侶の運動は全国に波及しています。
2007年9月5日、ビルマ中部のパコック市内で僧侶たちが平和的な行進を行っていたときのことです。デモを解散させようとしたビルマ国軍は、投げ縄を使って僧侶たちを捕まえ、街灯に縛りつけて殴りつけ、逮捕連行し、強制的に還俗させました。8人の僧侶が未だに釈放されていません。
政府によるこうした非道な行いに対して僧侶は謝罪を求めました。また同時に、逮捕された僧侶をすべて釈放すること、物価高騰への対策を講じること、対話によって政治問題を解決することも求め、回答期限を9月17日としました。
軍事政権の独裁的な指導者たちはこの要求に応じることも歩み寄ることもなかったため、ビルマ全土の僧侶は9月18日に、教えに基づく覆鉢(鉢伏せ行、パッタムニックッジャナカンマ)を行いました。そして全国の街頭を行進して、抗議の意志を示しています。
ビルマの僧侶による今回の宗教的抗議行動は仏陀の教えに基づくものです。アングッタラニカーヤ(増支部)の3の254頁とヴィナヤ、チューラヴァッガ(律、小品)に記されているとおり、8つの理由のいずれかに該当するとき、僧侶は覆鉢を行うことが許されています。今回はそのうち6つに該当しています。
【訳注】仏典上の該当箇所によれば、「覆鉢(鉢伏せ行、パッタムニックッジャナカンマ)」の要件とは以下の8つの行為である。これのいずれかに該当することを為した在家に対しては、覆鉢をなすことが許されている。またこの覆鉢を解く為には、本人が過失を認め懺悔し、仏陀がそれを過失として認め、受け入れ、作法に則って覆鉢を解くことが記されている(参考、『南伝大蔵経』第4巻、律、小品、190頁6行目〜194頁9行目。大蔵出版、昭和15年)。
(1) 僧侶たちへの布施を妨げる
(2) 僧侶たちの福利を損なう
(3) 僧侶たちの住処を荒廃させる
(4) 虚偽の中傷によって僧侶たちに汚名を着せる
(5) 僧侶たちの和合を乱す(破和合僧)
(6) 仏陀を誹謗する
(7) 仏法を誹謗する
(8) 僧団(サンガ)を誹謗する
釈尊は私たちに次のように説いています。もしこうした抗議の話を聴く、もしくは知ったなら、それがどんなに離れた地域のことであっても、あるいは法臘の差に関わらず、また大乗か上座かを問わず、僧侶たちは皆、仏教を護るためにこの行動に加わるべきである、と。したがって覆鉢行は広く世界的に行われています。
以上の理由から、私は日本に住む僧侶、尼僧、在家信者の皆さんに対し、ビルマの僧侶たちが現在取り組んでいる行動に注目され、共に実践してくださることを強く求めるものです。
僧侶
アシン・ケマサラ
全ビルマ青年僧侶連盟(ABYMU)
議長
abymuburma@yahoo.com
2007年9月18日
出典:Sd. Ashin Khemarsara, (Chair, All Burma Young Monks' Union: ABYMU), Appeal to all Venerable Buddhist Monks and People of Japan, September 18, 2007. なお日本語訳はビルマ語原文と英語版に基づいています。
ビルマ情報ネットワーク
http://www.burmainfo.org/religion/abymu200709.html
から転載
僧侶も加わったデモということで注目していました。
まさか武力制圧は、ないだろうな、
それやったら取り返しつかないもんな。
と楽観していたら僧侶にも発砲、拘束が及んだとのこと。
多くの人がいうように、こういうことをしてしまう政府というのは
本当に末期症状なのでしょう。
私に直接できることはすくないのですが、
それでも注目しつづけることは大切だと感じたので遅ればせながら
以下に全ビルマ青年僧侶連盟からのメッセージを転載しておきます。
以下転載
日本国内のすべての僧侶と皆さんへのお願い
アシン・ケマサラ
全ビルマ青年僧侶連盟(ABYMU)議長
2007年9月18日
日本に住むすべての僧侶と、信仰心の厚い在家信者の皆さんに対し、以下の通り緊急のお願いを申し上げたい。
ビルマ国内情勢についてはインターネットやマスコミなどを通じて多くの情報が流れているところですが、よりよく理解していただくためにいくつか補足をさせていただきます。
ビルマ軍事政権は、1988年の民主化運動の後、国内に民主主義を実現するという約束を反故にし、軍事独裁政治を続けています。軍政と、僧侶や学生、ビルマ国民との争いは絶えることはありません。
法を無視する独裁政権により、今のビルマは、政治的に不安定で、内戦を抱え、経済発展が遅滞し、生活水準は低く、医療や保健、教育は劣悪な状況に陥っています。
3百万人を超える人々が隣国に逃れざるをえない状況が存在しています。
民主主義を求めて声を上げた人々の多くが投獄されています。
こうした抑圧的な状況下で、ビルマ国内の学生と国民の間で、軍政に反対する動きが2007年8月第1週から始まっています。
それまで教学に励んでいた多くの僧侶たちが、人々の苦しい生活を理解し、支持を表明して、抗議行動に参加しています。
ビルマ全土には約40万の僧侶がいます。したがって僧侶の運動は全国に波及しています。
2007年9月5日、ビルマ中部のパコック市内で僧侶たちが平和的な行進を行っていたときのことです。デモを解散させようとしたビルマ国軍は、投げ縄を使って僧侶たちを捕まえ、街灯に縛りつけて殴りつけ、逮捕連行し、強制的に還俗させました。8人の僧侶が未だに釈放されていません。
政府によるこうした非道な行いに対して僧侶は謝罪を求めました。また同時に、逮捕された僧侶をすべて釈放すること、物価高騰への対策を講じること、対話によって政治問題を解決することも求め、回答期限を9月17日としました。
軍事政権の独裁的な指導者たちはこの要求に応じることも歩み寄ることもなかったため、ビルマ全土の僧侶は9月18日に、教えに基づく覆鉢(鉢伏せ行、パッタムニックッジャナカンマ)を行いました。そして全国の街頭を行進して、抗議の意志を示しています。
ビルマの僧侶による今回の宗教的抗議行動は仏陀の教えに基づくものです。アングッタラニカーヤ(増支部)の3の254頁とヴィナヤ、チューラヴァッガ(律、小品)に記されているとおり、8つの理由のいずれかに該当するとき、僧侶は覆鉢を行うことが許されています。今回はそのうち6つに該当しています。
【訳注】仏典上の該当箇所によれば、「覆鉢(鉢伏せ行、パッタムニックッジャナカンマ)」の要件とは以下の8つの行為である。これのいずれかに該当することを為した在家に対しては、覆鉢をなすことが許されている。またこの覆鉢を解く為には、本人が過失を認め懺悔し、仏陀がそれを過失として認め、受け入れ、作法に則って覆鉢を解くことが記されている(参考、『南伝大蔵経』第4巻、律、小品、190頁6行目〜194頁9行目。大蔵出版、昭和15年)。
(1) 僧侶たちへの布施を妨げる
(2) 僧侶たちの福利を損なう
(3) 僧侶たちの住処を荒廃させる
(4) 虚偽の中傷によって僧侶たちに汚名を着せる
(5) 僧侶たちの和合を乱す(破和合僧)
(6) 仏陀を誹謗する
(7) 仏法を誹謗する
(8) 僧団(サンガ)を誹謗する
釈尊は私たちに次のように説いています。もしこうした抗議の話を聴く、もしくは知ったなら、それがどんなに離れた地域のことであっても、あるいは法臘の差に関わらず、また大乗か上座かを問わず、僧侶たちは皆、仏教を護るためにこの行動に加わるべきである、と。したがって覆鉢行は広く世界的に行われています。
以上の理由から、私は日本に住む僧侶、尼僧、在家信者の皆さんに対し、ビルマの僧侶たちが現在取り組んでいる行動に注目され、共に実践してくださることを強く求めるものです。
僧侶
アシン・ケマサラ
全ビルマ青年僧侶連盟(ABYMU)
議長
abymuburma@yahoo.com
2007年9月18日
出典:Sd. Ashin Khemarsara, (Chair, All Burma Young Monks' Union: ABYMU), Appeal to all Venerable Buddhist Monks and People of Japan, September 18, 2007. なお日本語訳はビルマ語原文と英語版に基づいています。
ビルマ情報ネットワーク
http://www.burmainfo.org/religion/abymu200709.html
から転載
剃髪染衣(ていはつぜんね)とは頭を剃って衣を染めること、
円頂方袍(えんちょうほうぼう)とは、まあるい頭に四角いお袈裟。
どちらも僧の姿のことです。
卒業後に使う法衣が届きました。
連休、もしかしたら四国遍路行くかも知れないから送ってくれ、と実家に頼んでいたのです。
木綿の直綴(ころも)と絡子(らくす:禅宗式略五条袈裟)、七条のお袈裟、座具のみんな墨染め一そろい。
さっそく下に着る襦袢と鼠色の着物を押入れから出して着てみました。
新品なので何箇所も白いしつけ糸がついていて、それを一本づつとっていくのはなんか緊張します。
おっとそのまえに忘れちゃいけない受衣の作法が、、、「菩薩大士一心に念ずべし、仮名菩薩某甲、この七条、云々」一往唱えておきます。生身の菩薩も仏菩薩の形像もここにはないので形だけ、点浄もちいさくしておきます。
「こんなに袖大きいんだ。裾の襞もこれくらいだったかなと思っていたよりかなり深いなあ」
着物を頭から被って2箇所を女性の着物のように腰のところで腰紐で結び、その上から同じように直綴も着けて端折って、手巾なる指ほどの組紐を締め、露出した脛には脚絆。わらじ履き。これが雲水の旅装。
一休さんや親鸞さんの逸話を出すまでもなく、わたしみたいのが僧の形になっても尊いのは法衣だけです。せめて綺麗に尊げに着こなせるようになりたいですね。一生かけて。
円頂方袍(えんちょうほうぼう)とは、まあるい頭に四角いお袈裟。
どちらも僧の姿のことです。
卒業後に使う法衣が届きました。
連休、もしかしたら四国遍路行くかも知れないから送ってくれ、と実家に頼んでいたのです。
木綿の直綴(ころも)と絡子(らくす:禅宗式略五条袈裟)、七条のお袈裟、座具のみんな墨染め一そろい。
さっそく下に着る襦袢と鼠色の着物を押入れから出して着てみました。
新品なので何箇所も白いしつけ糸がついていて、それを一本づつとっていくのはなんか緊張します。
おっとそのまえに忘れちゃいけない受衣の作法が、、、「菩薩大士一心に念ずべし、仮名菩薩某甲、この七条、云々」一往唱えておきます。生身の菩薩も仏菩薩の形像もここにはないので形だけ、点浄もちいさくしておきます。
「こんなに袖大きいんだ。裾の襞もこれくらいだったかなと思っていたよりかなり深いなあ」
着物を頭から被って2箇所を女性の着物のように腰のところで腰紐で結び、その上から同じように直綴も着けて端折って、手巾なる指ほどの組紐を締め、露出した脛には脚絆。わらじ履き。これが雲水の旅装。
一休さんや親鸞さんの逸話を出すまでもなく、わたしみたいのが僧の形になっても尊いのは法衣だけです。せめて綺麗に尊げに着こなせるようになりたいですね。一生かけて。
比叡山に行くけど誰か一緒に行きませんかと陶芸のMLで誘ったら3人も釣れて乗ってきて、29日から2泊で行くことになりそうです。ナマグサ坊主と行く比叡山京都2泊3日巡礼の旅(笑)
卒論でも比叡山関係をやるので、いっぺん行っとかないとと思っていたのです。去年高野山の帰りに坂本の西教寺までは行きましたが、そのあと草津線のほうに用事があって山上には行けず、山王さんも遥拝だったので気になってました。
私は音にきく鮒鮓なんかをつまみつつ遊覧でもよかったのですが、参加者の一人、陶芸の後輩が、「普段できないようなガチ坊主プランがいい(原文」と仰るので宿泊は宿坊にして写経とかしつつの旅になりそうです。これもいいね。
人数が3人以上でないと申し込めないのでこれまで見られなかった三井寺の特別拝観の区域とか、そんなところも攻めてみようかと思ってます。
春休みの締めくくりに比叡山。今から楽しみ^^
卒論でも比叡山関係をやるので、いっぺん行っとかないとと思っていたのです。去年高野山の帰りに坂本の西教寺までは行きましたが、そのあと草津線のほうに用事があって山上には行けず、山王さんも遥拝だったので気になってました。
私は音にきく鮒鮓なんかをつまみつつ遊覧でもよかったのですが、参加者の一人、陶芸の後輩が、「普段できないようなガチ坊主プランがいい(原文」と仰るので宿泊は宿坊にして写経とかしつつの旅になりそうです。これもいいね。
人数が3人以上でないと申し込めないのでこれまで見られなかった三井寺の特別拝観の区域とか、そんなところも攻めてみようかと思ってます。
春休みの締めくくりに比叡山。今から楽しみ^^
寒さ厳しい折である。昨夜は数通の寒中見舞いを書いた。
年賀状はぐずぐずしている内に大部分を出しそびれた。代替策である。
そういえば、去年は寒い時期にひとりで窯のある山(森林ボランティアの活動先である埼玉神川の里山)に入って薪割りしたりいろいろ考えたりしたのだったな、と思い出した。
寒い時期だったのでてっきり春休みだと思っていたのだが、日記を見たら11月であった。山の上で、日暮れが早くて、とても寒かった。
たしか行きはバス停から4、50分歩いて登ったのだった。
月が円い夜で、曲がりくねる暗い林道を進むと、
山の反対側に出て急に足元が明るくなるところがあって、
そのたびにびっくりしたのを思い出す。
上り坂は途中で暑くなって服を脱いだ。
目的地に着くとあっという間に汗が冷えた。
山の中には森林ボランティアの人たちが建てた小屋があって、
薪ストーブが置いてある。
冬の山は乾燥する。山火事が恐い。
山主のAさんにはあらかじめ電話してあって、
建物の中なら火を使う許可も得ていたのだけれど
私は孤食に手間をかける気がしなかったのと、もう一つの理由で
蕎麦粉をスーパーで二袋買って持ち込んでいた。
蕎麦粉は水で掻けば食することができ火を使わずに済むので、
古来山中の修行に用いられてきた。
そう聞いていたので試してみたのである。
その山の中は岩が多いから、巌上で羅漢図のごとく
坐禅と洒落込むのも悪くないとそんなことも考えていた。
実際には11月の山は寒くって、石の上はお尻がつめたくて
坐禅どころではなかったのだが。
結局そのときは、寒くて寝付けなくて火も使ったし、
蕎麦掻は湯を使い、ついでに餅も焼いて食った。
次の日は昼寝までした。
そのほかの時間は斧を持っていた。
この山は下草に混じって茶の木がそこらじゅうに生えている。
枯葉の中でも青々とした葉を一枚とって味見してみると、
さわやかな甘みがあった。冬に備えて養分が蓄えられているのだろう。
2泊して、薪を十数束作って山を下りた。
大部分が計画倒れだったけれど、楽しかった。
テストが終われば春休みである。一月の山は寒いだろうか。
年賀状はぐずぐずしている内に大部分を出しそびれた。代替策である。
そういえば、去年は寒い時期にひとりで窯のある山(森林ボランティアの活動先である埼玉神川の里山)に入って薪割りしたりいろいろ考えたりしたのだったな、と思い出した。
寒い時期だったのでてっきり春休みだと思っていたのだが、日記を見たら11月であった。山の上で、日暮れが早くて、とても寒かった。
たしか行きはバス停から4、50分歩いて登ったのだった。
月が円い夜で、曲がりくねる暗い林道を進むと、
山の反対側に出て急に足元が明るくなるところがあって、
そのたびにびっくりしたのを思い出す。
上り坂は途中で暑くなって服を脱いだ。
目的地に着くとあっという間に汗が冷えた。
山の中には森林ボランティアの人たちが建てた小屋があって、
薪ストーブが置いてある。
冬の山は乾燥する。山火事が恐い。
山主のAさんにはあらかじめ電話してあって、
建物の中なら火を使う許可も得ていたのだけれど
私は孤食に手間をかける気がしなかったのと、もう一つの理由で
蕎麦粉をスーパーで二袋買って持ち込んでいた。
蕎麦粉は水で掻けば食することができ火を使わずに済むので、
古来山中の修行に用いられてきた。
そう聞いていたので試してみたのである。
その山の中は岩が多いから、巌上で羅漢図のごとく
坐禅と洒落込むのも悪くないとそんなことも考えていた。
実際には11月の山は寒くって、石の上はお尻がつめたくて
坐禅どころではなかったのだが。
結局そのときは、寒くて寝付けなくて火も使ったし、
蕎麦掻は湯を使い、ついでに餅も焼いて食った。
次の日は昼寝までした。
そのほかの時間は斧を持っていた。
この山は下草に混じって茶の木がそこらじゅうに生えている。
枯葉の中でも青々とした葉を一枚とって味見してみると、
さわやかな甘みがあった。冬に備えて養分が蓄えられているのだろう。
2泊して、薪を十数束作って山を下りた。
大部分が計画倒れだったけれど、楽しかった。
テストが終われば春休みである。一月の山は寒いだろうか。
陶芸部恒例の窖窯合宿。多分27日くらいまで。
昨年は終わってから四万温泉に行きました。
ほんとは系列高校の美術の授業の生徒さんの作品を焼かせてもらうバイトで、陶芸部にお給料が出ます。
大学からお給料もらってるサークルなんてうちくらいじゃない?
生徒さんのだけではまだ窯に空きがあるので、
部員の作品も便乗して入れてもらえます。
普段の部室灯油窯では大きいのとかそんなに入らないのですが、
窖窯なら入れ放題なのでみんなこぞって作ってます。
私も鉢を数十個。
ここの窯は冬だからか、焚き方か、
からっとした明るい感じに仕上げていて、私は結構気に入っています。
去年は一応私が窯の担当者だったのですが、
必要以上に人がいたせいか、
なんかブッ弛んでいて不愉快な思いをしたし、
いつも機会を下さる先生にも不愉快な思いをさせてしまったので
今年は引き締めていくようです。
あんまり人がいると、窯に作品を詰めているときなど、
みんなすることもないのでばらばらになってしまいます。
薪運んだりレンガで塞いだりと人手の欲しい時も
あることは確かですが。
OB,OGの参加もお断りしたみたいです。統制取れなくなるから。
それがいいとおもいます。
かまたきなんだし。
私は沈静し始めるとあんまり静かになりすぎてしまうので、
ほかの人がはしゃいでいるのを止める、というのは苦手です。
「あんたはそれでいいんだろうけど、
こっちはそれじゃおもしろくないんだよ」
と言われるのが恐いのです。
いくじなし。といわれてもしかたありませんが。
今回はどうなることやら。
昨年は終わってから四万温泉に行きました。
ほんとは系列高校の美術の授業の生徒さんの作品を焼かせてもらうバイトで、陶芸部にお給料が出ます。
大学からお給料もらってるサークルなんてうちくらいじゃない?
生徒さんのだけではまだ窯に空きがあるので、
部員の作品も便乗して入れてもらえます。
普段の部室灯油窯では大きいのとかそんなに入らないのですが、
窖窯なら入れ放題なのでみんなこぞって作ってます。
私も鉢を数十個。
ここの窯は冬だからか、焚き方か、
からっとした明るい感じに仕上げていて、私は結構気に入っています。
去年は一応私が窯の担当者だったのですが、
必要以上に人がいたせいか、
なんかブッ弛んでいて不愉快な思いをしたし、
いつも機会を下さる先生にも不愉快な思いをさせてしまったので
今年は引き締めていくようです。
あんまり人がいると、窯に作品を詰めているときなど、
みんなすることもないのでばらばらになってしまいます。
薪運んだりレンガで塞いだりと人手の欲しい時も
あることは確かですが。
OB,OGの参加もお断りしたみたいです。統制取れなくなるから。
それがいいとおもいます。
かまたきなんだし。
私は沈静し始めるとあんまり静かになりすぎてしまうので、
ほかの人がはしゃいでいるのを止める、というのは苦手です。
「あんたはそれでいいんだろうけど、
こっちはそれじゃおもしろくないんだよ」
と言われるのが恐いのです。
いくじなし。といわれてもしかたありませんが。
今回はどうなることやら。
去年の9月からヤフーでブログ書いてたんですが、
どうも使い勝手がよろしくないので移転しました。
前のブログからの移転はゆっくりやっていきます。
急に前の記事が増えるのはそういうことです。
それから、REAlでのお付き合いをしてる人には
あんまり積極的に教えてないんだけど
見つけちゃった人は必ずコメント書いてね。
知らない内に見つけられてるのは((((;゜Д゜)))ですので。
よろしく。
どうも使い勝手がよろしくないので移転しました。
前のブログからの移転はゆっくりやっていきます。
急に前の記事が増えるのはそういうことです。
それから、REAlでのお付き合いをしてる人には
あんまり積極的に教えてないんだけど
見つけちゃった人は必ずコメント書いてね。
知らない内に見つけられてるのは((((;゜Д゜)))ですので。
よろしく。
「ぶっせん」という漫画をご存知でしょうか、
講談社の漫画週刊誌「モーニング」誌で連載された三宅乱丈さんの作品、単行本は全6巻。
つぶれかけの貧乏寺を建て直そうと仏教専門学校を開くという筋なのですが、ものすごく面白い。
大学一年のとき、YBA
http://wasebutsu.ld.infoseek.co.jp/
のM先輩から教えてもらって、、内容の深さとおもしろさに感嘆しました。
普段漫画にあまり入り込めない私ですが、内容が内容だけに。
仏教マニアなら笑わずにはいられない箇所が随所に隠されているのです。
たとえば、金々腹寺(もともと禅寺である ぶっせん のとなりにある宿敵寺院)
の山門が高野山のそっくりだったりとか、
一つ摘んでは父のため〜、と歌いながら 草取り してたりとか。
おもわずお茶吹いてしまいます。
1245しか手に入らなくて、ながらく3、6巻を読みたいと思っていたのですが、
おととい、同じ作者の新作「秘密の新撰組」を探しに行った神楽坂の古書店で巻3を発見。
ファンページあります。
http://www.ne.jp/asahi/kawayann/kansai/butsu/index.html
講談社の漫画週刊誌「モーニング」誌で連載された三宅乱丈さんの作品、単行本は全6巻。
つぶれかけの貧乏寺を建て直そうと仏教専門学校を開くという筋なのですが、ものすごく面白い。
大学一年のとき、YBA
http://wasebutsu.ld.infoseek.co.jp/
のM先輩から教えてもらって、、内容の深さとおもしろさに感嘆しました。
普段漫画にあまり入り込めない私ですが、内容が内容だけに。
仏教マニアなら笑わずにはいられない箇所が随所に隠されているのです。
たとえば、金々腹寺(もともと禅寺である ぶっせん のとなりにある宿敵寺院)
の山門が高野山のそっくりだったりとか、
一つ摘んでは父のため〜、と歌いながら 草取り してたりとか。
おもわずお茶吹いてしまいます。
1245しか手に入らなくて、ながらく3、6巻を読みたいと思っていたのですが、
おととい、同じ作者の新作「秘密の新撰組」を探しに行った神楽坂の古書店で巻3を発見。
ファンページあります。
http://www.ne.jp/asahi/kawayann/kansai/butsu/index.html
僧侶志望とはどういうことか。
仏教の第一義的には得度受戒した時点で僧侶である。
得度というのは形を僧侶にすること、具体的には髪を剃って頭を丸め、
着物を墨染の衣に着替え、お袈裟と托鉢用の鉄鉢と、
坐る時や礼拝用の敷物である座具(バスタオルくらいのサイズの縁付きの布)
を師僧から与えられる。
今はないが、昔は国家の許可を得て戸籍を抹消し、
僧侶の戸籍(僧籍)に編入されて証明書が出た。
要するに衣(袈裟)、食(托鉢)、住(座具)の外的生活要素をこれまでと変えるのである。
それから授戒というのは意識を僧侶にすることで、
師僧から僧侶としての釈尊以来の戒律を一つ一つ教えられ、
その一つ一つについて「まもることができますか?」「はい、守ります」という問答を
丁寧にも三度ずつ繰り返す。
これによって内的要素を僧侶のそれにするのである。
一般には僧侶といえば、ほとんどの人はいわゆる「住職」を思い浮かべるだろう。
住職というのは住持職の略、住持は安住護持の略だから、
寺に住って仏教を護持する役職ということになる。
得度はわずかに僧侶の仲間入りをしたというだけで、それだけでは住職にはなれない。
論じるまでもなく、護持するべき仏教がまだ具わっていないからである。
(お寺には仏像や経典があるが、それは楽器のようなもので弾きこなせなければ意味を成さない。
弾きこなすのはやはり僧侶であり有縁の檀家さんである)
私は仏教が好きだから、生家が寺だったという便宜を利用して得度をしたが、
しかしながら住職になるため、親のあとを継ぐために得度をしたわけではない。
その点で、世間の「僧侶=住職」という認識とは若干のずれがある。
これから、卒業してからも僧侶として生きていこうと漠然と思っているが、
自分ではあくまでも僧侶として生きるのであって、
生きるために僧侶をしようとは、今からは考えていない。
青臭く聞こえるだろうし自分でもそう思うが、
学生の意識としてはこれでいいのではないかと思っている。
私はそういう意味で、きわめて微妙な「僧侶志望」という言い方をしているのだ。
仏教の第一義的には得度受戒した時点で僧侶である。
得度というのは形を僧侶にすること、具体的には髪を剃って頭を丸め、
着物を墨染の衣に着替え、お袈裟と托鉢用の鉄鉢と、
坐る時や礼拝用の敷物である座具(バスタオルくらいのサイズの縁付きの布)
を師僧から与えられる。
今はないが、昔は国家の許可を得て戸籍を抹消し、
僧侶の戸籍(僧籍)に編入されて証明書が出た。
要するに衣(袈裟)、食(托鉢)、住(座具)の外的生活要素をこれまでと変えるのである。
それから授戒というのは意識を僧侶にすることで、
師僧から僧侶としての釈尊以来の戒律を一つ一つ教えられ、
その一つ一つについて「まもることができますか?」「はい、守ります」という問答を
丁寧にも三度ずつ繰り返す。
これによって内的要素を僧侶のそれにするのである。
一般には僧侶といえば、ほとんどの人はいわゆる「住職」を思い浮かべるだろう。
住職というのは住持職の略、住持は安住護持の略だから、
寺に住って仏教を護持する役職ということになる。
得度はわずかに僧侶の仲間入りをしたというだけで、それだけでは住職にはなれない。
論じるまでもなく、護持するべき仏教がまだ具わっていないからである。
(お寺には仏像や経典があるが、それは楽器のようなもので弾きこなせなければ意味を成さない。
弾きこなすのはやはり僧侶であり有縁の檀家さんである)
私は仏教が好きだから、生家が寺だったという便宜を利用して得度をしたが、
しかしながら住職になるため、親のあとを継ぐために得度をしたわけではない。
その点で、世間の「僧侶=住職」という認識とは若干のずれがある。
これから、卒業してからも僧侶として生きていこうと漠然と思っているが、
自分ではあくまでも僧侶として生きるのであって、
生きるために僧侶をしようとは、今からは考えていない。
青臭く聞こえるだろうし自分でもそう思うが、
学生の意識としてはこれでいいのではないかと思っている。
私はそういう意味で、きわめて微妙な「僧侶志望」という言い方をしているのだ。
私の趣味としては他に書道がある。
これももの心ついた時から興味はあったけれど、
小さい頃はそういう坊主臭いことは嫌いだったので、というか、
褒められるのにも貶されるのにもいちいち寺のことを出されるのが嫌で堪らなくて、
両親はずいぶん熱心に書道教室に通うよう薦めていたが、結局行かなかった。
それに、文字は言葉が記録されて読めさえすれば良いんだと考えていた。
文字には人柄があらわれるのだとかいう話を聞いても、
単なる古臭い修身主義だとしか思わなかった。
高校生くらいだろうか、たまたま榊莫山さんの本を見て、
自由で柔らかい感じが何となく気に入り、
また芸術新潮で石川九楊という書家が非常に理論的で新鮮な(そう感じた)
書道の連載をしていたので、そういうものに惹き付けられて、
うちにあった法帖をこそこそと部屋に持ち込んで臨書をするようになった。
一人で気に入った文字の臨書をやっていると、文字の見方も少しづつわかる様になってくる。
紙との無言の対話の楽しさを知った。
一人暮らしを初めてからも、住んでいるところが区立の図書館に近かったのと、
人と遊ぶには中途半端な暇が多かったので
(今思うと時間の使い方が今より下手だったのだろう。今も下手だが)
気に入った法帖を借りては臨書していた。
人に習っていたことがないので普通の人が思う書道ではないかもと思うけれど、
書くことはあいかわらず好きである。
これももの心ついた時から興味はあったけれど、
小さい頃はそういう坊主臭いことは嫌いだったので、というか、
褒められるのにも貶されるのにもいちいち寺のことを出されるのが嫌で堪らなくて、
両親はずいぶん熱心に書道教室に通うよう薦めていたが、結局行かなかった。
それに、文字は言葉が記録されて読めさえすれば良いんだと考えていた。
文字には人柄があらわれるのだとかいう話を聞いても、
単なる古臭い修身主義だとしか思わなかった。
高校生くらいだろうか、たまたま榊莫山さんの本を見て、
自由で柔らかい感じが何となく気に入り、
また芸術新潮で石川九楊という書家が非常に理論的で新鮮な(そう感じた)
書道の連載をしていたので、そういうものに惹き付けられて、
うちにあった法帖をこそこそと部屋に持ち込んで臨書をするようになった。
一人で気に入った文字の臨書をやっていると、文字の見方も少しづつわかる様になってくる。
紙との無言の対話の楽しさを知った。
一人暮らしを初めてからも、住んでいるところが区立の図書館に近かったのと、
人と遊ぶには中途半端な暇が多かったので
(今思うと時間の使い方が今より下手だったのだろう。今も下手だが)
気に入った法帖を借りては臨書していた。
人に習っていたことがないので普通の人が思う書道ではないかもと思うけれど、
書くことはあいかわらず好きである。

